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ワクワクとスリルが交差する街「渋谷」 漫画家・タレント蛭子 能収さん

40年以上愛し続ける渋谷

「若い頃はとんがった雰囲気の新宿にも通ったけれど、やっぱり渋谷が一番落ち着きます。若い女の人のファッションを眺めるのも好きなんですよ」と蛭子さん。

25歳で長崎から上京して、渋谷の会社に住み込みで働いた漫画家の蛭子能収さん。約40年以上たった今でも、蛭子さんにとって渋谷は特別な街だ。「絶対に映画監督になってやると思っていました。パチンコでどうにか食いつなごうとしたけれどダメで、いよいよ残金5000円になって、ワラにもすがる思いで渋谷の看板屋さんで働かせてもらったんです。
当時から渋谷には小さな映画館が多かったから、仕事の休みの日に映画館めぐりをするのが幸せでね。映画館の看板もたくさん取り付けたんですよ」

井の頭線渋谷駅の近くの路地には、昔の渋谷の雰囲気が残っているという。

当時の渋谷は中高年の男性中心の街だった。映画館の周りには必ずといっていいほど飲食店やパチンコ店が乱立し、雑然とした街を歩くと、背徳的な匂いと都会の真ん中を歩いている高揚感とで、妙にワクワクしたという。
「今でもあちこちに怪しい雰囲気が残っていて、歩いていてもちょっとしたスリルがあるのがいいんですよ。事務所も渋谷だから、円山町のユーロスペースや駅の近くの小さな映画館に行くときに、派手な看板を冷やかしたり、呼び込みのお兄さんに『あ、蛭子さんだ!』なんて言われると、なんだか楽しくなってきちゃうんです」

地方に行っても海外に行っても、歓楽街を歩く。スリルと隣り合わせの気分を味わいながら、街と人間観察を欠かさない。そんな非日常的な光景が、蛭子さんの描くシュールな漫画に生かされている。

映画監督に本格デビュー?

円山町あたりの雰囲気も好きで、桜丘から移転してきたユーロスペースにもよく足を運ぶという。円山町の隣の松濤には、蛭子さんが住み込みで働いた会社「むつみや」が、当時と変わらぬ場所にある。

家の間取りやインテリアへのこだわりはほとんどないが、現在の家を建てる際に唯一リクエストしたのが、広めのベランダだった。
「広いベランダのことを長崎では『やぐら』って言うんです。星座のことはわかんないんだけど、星を見たり、道行く人を眺めたり、ボーっとして過ごしています。街をブラブラするのが好きだから、家の中にずっといるのが苦手で、やぐらに出るとほっとするんですよ」

昭和40年代初頭の渋谷は駅の近くまで住宅街が迫っていた。昭和48年(1973年)、渋谷パルコのオープンをきっかけに、若者の街へと変貌。

2003年に、シンガーソングライターの諌山実生さんのプロモーションビデオ「諌山節考」を制作。短編ではあったが、監督の夢はかなった。その後、長編用のシナリオに着手するが...。
「1時間半の映画になる予定なんですが、何回も書き直しになっていて、イヤになっちゃったから、そのままにしてあるんです。僕、チームで何かをやるのって、苦手なんですよね。ささっとひとりで漫画を描くみたいには、うまくいかないもんなんですよねぇ(笑)」

蛭子 能収 (えびす よしかず)

1947年、長崎県生まれ。25歳で上京して、シナリオの学校に通いながら看板店に就職。その後、ちりがみ交換やダスキン配達をしながら漫画誌「ガロ」に作品を持ち込み続け、33歳で漫画家デビュー。そのユニークなキャラクターで、テレビのバラエティ番組等でタレントとしても活躍。作品を選りすぐった『蛭子能収コレクション』(マガジン・ファイブ)発売中。

  • 連載「住まいとお金」ファイナンシャルプランナー 久谷真理子
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