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津軽の城下町に江戸時代から佇む商家「石場家」を訪ねて 石場家十八代当主夫人 石場敏子


津軽・弘前城の前に佇む「石場家」は、江戸中期に建てられた商家だ。
十八代当主の夫人、石場敏子さんは、幾星霜、風雪に耐えてきたこの家を慈しみながら、昔と変わらない店先で今も酒屋を営む。

津軽の貴重な遺構として昭和48年、重要文化財に

切妻破風が映える豪壮な外観。

津軽平野の南部に位置する弘前は、弘前城を中心に開けた古い城下町だ。お城の北側、亀甲門に面した外堀端の四つ辻に、歴史を感じさせる大きな切妻屋根の商家が佇んでいる。正面約37.9メートル、奥行き約39.6メートルの堂々たる構え。江戸時代中期に建てられた石場家住宅である。

石場家は古くからの津軽藩出入りの御用商人で、縄や筵(むしろ)など主にわら製品を扱う雑貨荒物商だった。後には米、肥料を扱うようになり、現在は亡き十八代目当主の夫人である石場敏子さんが、通りに面した店で酒屋を営みながら家を守り続けている。
「石場家がこの地に来たのがいつ頃かは不明ですが、菩提寺に元禄以来の墓碑が残されているので、おそらく300年以上昔から弘前に住んでいたのでしょう」と敏子さんは語る。

板の間の「台所」。その右側が「常居」の間。

この豪壮な構えの建物は、津軽地方の数少ない商家の遺構として、昭和48年に国の重要文化財に指定されている。水害などで土台が腐食していたため、昭和55年から2年かけて大々的な修復工事が行われたが、その際の調査で、構造手法からみて18世紀前半の建築物だと判明。また、主屋部分は19世紀の初めに他から移築されたものだと推定された。
「私が嫁いできたときは今のような状態ではなく、建具で仕切って暖房が効く部屋がつくられるなど、すでにかなり改築されていました。でも、修復工事を行うことになったとき、主人の意向で文化財として後世に残そうと決め、昔の姿に復元したのです。それを機に私たちは隣家に暮らしを移し、現在は文化財として一般公開しています」

手斧(ちょうな)削りの豪壮な梁組み積雪に耐える頑強なつくり

表の通路「コミセ」は雪国のアーケード。

こうして蘇った主屋は、家の表から奥まで土間が通る「通り庭」のつくりだ。屋根は、元は石置きの柾板葺(まさいたぶ)きだったが、現在は鉄板葺きになっている。
特徴的なのが、家の表に軒から庇を長く張り出し、その下を通路にした「コミセ」があることだ。冬の間はコミセの柱と柱の間に板を落とし込んで、雪や風から身を守る歩行空間にする。かつてこの通りに商家が軒を連ねていた頃は、人々が買い物がてら行き来する、いわばアーケードのような役割を果たしていたという。

昔ながらの「ミセ」で今も酒屋を営む。

玄関を入ると右手に「店(ミセ)」があり、表から裏まで三和土(たたき)の土間が走っている。土間に沿って、店の奥に囲炉裏が切られた板の間の「台所(ダイドコロ)」と、居間の役目を果たす畳敷きの「常居(ジョイ)」が並び、東奥には客人を迎える「上座敷」もある。

店に祀られた恵比寿様。

建物は積雪の重みに耐えられる頑強なつくりで、天井を見上げると手斧(ちょうな)で角材に仕上げたカツラの大きな梁組みが圧巻だ。黒光りする台所の床の両端に、どっしりと構える一対のヒバの太柱が、家を支える大黒柱である。
「縁起を担いで、この二本の柱を石場家では恵比寿大黒と呼び、昔から御幣(ごへい)をつけてお祀りする慣わしです」と敏子さん。

通り土間に井戸があり、土蔵ともつながる。

通り庭の土間の奥には土蔵があり、屋内から直接出入りできるのも雪深い東北ならではの知恵だろう。現在は使われていないが、井戸も土間の中央にあり、戸外に出ることなく水汲みができる。
それにしても、こんな広い間仕切りで通り庭が貫く開放的なつくりでは、冬はさぞ寒いことだろう。
「縁の下も素通しですから、冬の寒さは尋常じゃありません。でも、風通しを良くしないと木造建築は長持ちしませんから、江戸時代からそこは我慢してしのいできたのでしょうね。昔の人は囲炉裏だけじゃなく、あちこちに置き炉や火鉢を置いて炭をおこし、暖を取っていたようです」

江戸時代から残る家に感じる深い愛着と安らぎ

明治時代の茶箪笥に年代物のこけしが並ぶ。

今も津軽の冬の寒さは厳しく、敏子さんは「目いっぱい着込み、背中にファンヒーターを背負って店番をしています」と笑う。毎朝、1時間かけて行う店先の雪かきも重労働だ。それでもこの家にいると、なぜか心が安らぐという。
「江戸時代から十八代に渡って大切に住み継がれてきた家だから、目に見えない大きなものに守られているような気がするのです」
昭和40年に石場家に嫁いできた敏子さん。当時はお舅(しゅうと)さんとご主人が靴の卸業を営み、お姑さんと義姉様のご家族が酒屋を切り盛りしていたそうだ。

藁の「弁慶」に川魚を刺して燻製に。

「商売柄、従業員もたくさんいて、人の出入りも多く、大人数の食事を用意するのが大変でした」と懐かしそうに振り返る。
平成元年に仕事をリタイアし、酒屋を継いだご主人は、地元の蔵元に発破を掛けておいしい地酒をつくらせ、店に置くようにした。そして地酒の会を主催し、自分で釣ってきた鮎や岩魚を肴に、囲炉裏端で大勢の仲間とお酒を飲むのが何よりの楽しみだったという。

昔の商家を偲ばせる法被。

昔の姿に修復後、石場さん一家は隣家で暮らすようになったが、ご主人は病に伏すまでずっとこの家で寝泊まりしていたそうだ。
「ご先祖代々の想いが宿ったこの家が、自分の一番落ち着く居場所だと思っていたのでしょうね」と在りし日を偲ぶ敏子さん。江戸時代から今に生き続ける婚家への深い愛着を感じながら、亡きご主人に代わって淡々と商いを続け、凜と背筋を伸ばして一日一日を丁寧に生きている。津軽の石場家は、家も、人も、情緒豊かで我慢強い。

石場敏子(いしば・としこ)

故・18代当主・石場屋清兵衛氏の夫人。昭和40年、石場家に嫁ぎ、一男一女を育てる。現在、ご長男の奥さまと共に酒屋を営みつつ、重要文化財の石場家住宅を守っている。石場家住宅は一般公開されている。

  • 連載「住まいとお金」ファイナンシャルプランナー 久谷真理子
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