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決断、対応力、発想が求められる日々。心を癒やしてくれたかけがえのない仲間との絆第53次 日本南極地域観測隊員堀川秀昭

オーロラをバックに記念撮影。見るもの、聞くもの、触れるもの、それらすべてが初めての体験だという。それが南極での暮らしだ。

冬季はマイナス40℃を下回ることもある寒さ、そして吹き荒れるブリザード。そんな過酷な自然環境に建つ昭和基地で建物を建設するには、日本の現場にはないさまざまな苦労がある。
「やはり、一番厳しいのは寒さです。たとえばマイナス40℃では、屋外作業は15分が限度です。完全に体が凍え切ってしまいます。室内で30分くらい温まらないと体が復活しないんです」

堀川元隊員が1年4ヶ月過ごした昭和基地。建設という主たる作業はもちろん、ここではあらゆる活動を限られた人数でこなさなくてはならない。

そう語るのは、ミサワホームの大工職・堀川秀昭元南極地域観測隊員(以降元隊員)だ。第53次南極地域観測隊の一員として、1年4カ月もの南極生活を経験した。
「屋外作業中に、うっかり釘を口にくわえてしまうなんて失敗もありました。あっという間に凍って、唇に釘がくっついてしまうんです。無理に取ろうとすると唇まで剥がれてしまいますから、室内で自然に融けるのを待つしかないんです」
昭和基地よりも1000㎞ほど内陸にある「ドームふじ基地」にも随行。そこでは、空気の薄さにも悩まされたそうだ。
「富士山よりも高い3810mという高所ですから、空気がとても薄いんです。はしごに上っただけで息苦しくなるほど。高山病にも似た症状に悩まされる隊員もいましたね」

そうした数々の厳しい作業を経験してきた堀川元隊員だが、彼にとってもっとも辛かったのは、帰国することだったという。
「帰りたくなかったからです(笑)。まだまだ南極にいたかったですね」
限られた物資と、限られた人数で、あらゆる問題に立ち向かわねばならない南極での生活。だが堀川元隊員にとっては、人生観を一変させてしまうほどの素晴らしい体験だった。
「南極では自分自身が決断を下さなければならない場面が非常に多い。臨機応変な対応力や発想力も求められます。また、同じ苦労を分かち合った仲間との絆も、かけがえのないものです」

帰国後の堀川元隊員は、本業である大工職の合間を縫って、「南極クラス」の先生として全国の小中学校を飛び回っている。南極クラスは、東日本大震災をきっかけに被災地支援の一環としてスタートし、未知なる世界である南極での活動を、未来を担う子どもたちに伝え、夢や希望を届ける出張教室の名称だ。現在は全国的な活動として、各地の学校や病院などでも展開している。
「私は子どもの頃に自分の『夢』を見つけることができませんでした。そのまま大人になってしまったけれど、38歳になって突然南極行きが決まり、素晴らしい経験をすることができました。今の子どもたちのなかにも、かつての私同様、夢を見つけられずにいる子どもは大勢いると思います。南極クラスを通じて、そんな子どもたちへメッセージを届けたい。興味があれば、何でも臆せずチャレンジして欲しい。その経験はいつか夢が見つかったとき、必ずつながっていくはずです」
南極での貴重な体験は、堀川元隊員にとっての大切な財産として今も輝いている。

堀川秀昭(ほりかわ・ひであき)

1972年生まれ。1997年より東京ミサワ建設(株)にて大工として住宅の施工に従事。2011年「第53次日本南極地域観測隊 越冬隊 建築・土木部門」に参加。夏期は自然エネルギー棟建設工事等の建築工事に携わる。越冬期後半には日本最南端の基地「ドームふじ基地」の内陸旅行に同行して、天文観測架台建設工事の指揮をとる。2013年3月に帰国後、ミサワホーム(株)MRD・法人推進部にて「南極クラス」の南極先生として南極講演活動を行う。同年7月より現場復帰して大工をしながら南極先生として全国を飛び回る。

カタログ「南極のミサワホーム」
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