冬の極夜の時期は「遊び」がとても重要第51次 日本南極地域観測隊員秋元 茂
ペンギンは日本人にとってはアイドル的存在。基地の近くまでやって来たのを発見すると、シャッターを押さずにはいられない。
初めての南極大陸へは、砕氷船「しらせ」に乗って接岸し、そこから雪上車で昭和基地へ......。と思いきや、なんと南アフリカ共和国のケープタウンから空路での上陸でした。搭乗したのはロシアの貨物用の空軍機。旅客機のような快適な座席はあるはずもなく、そこに12カ国、56人が同乗。約8時間かけての南極大陸行きでした。
驚いたのは、同乗者のなかに小学6年生のカナダ人の女の子がいたことです。両親が雪氷学者で、二人とも南極で研究をしていたため、2週間の秋休みを利用して訪れたとのこと。日本ではなかなか考えられないことですね。
私が担当したのは、自然エネルギー棟です。南極ではブリザードという激しい暴風雪に見舞われます。すると、スノードリフトという雪害が起こります。それをどう回避するかがこの建物の設計上の鍵を握っていました。南極へ行った時の私の任務は、自然エネルギー棟の施工。現地では、建築などの技術的な指導を行いました。
天候が穏やかな日は屋外で作業。任務だけではなく、隊員同士のチームワークでさまざまな仕事をこなしていく。
現地の11月から2月にかけての夏は、天候も穏やかで屋外での作業もできます。ところが、6月〜7月の冬は、極夜といって、一日中ほとんど太陽の光があたりません。その時期は、気分が沈んでうつ気味になるため、スポーツやイベントといった「遊び」がとても重要となります。たとえば、ミッドウィンター祭りと称して、さまざまなイベントを開催し、国際交流を行うのもそのひとつ。私がいた時は、国ごとに5分間の映像をつくって互いに評価し合うイベントがあり、日本チームは見事銀賞をいただきました。
また、遊びとともに私たちを癒やしてくれるのが動物や自然の美しさです。なかでもペンギンは大人気です。アデリーペンギンは、ときおり基地の近くまでやって来ますが、体長130㎝にも及ぶコウテイペンギンに遭遇する機会は、めったにありません。館内放送で出現したことが知らされると、仕事の手を休めて、こぞって観察にでかけるという具合。ちなみに、ペンギンをカワイイと思っているのは日本人だけ。海外の隊員たちには、さほど人気がありません。
南極での体験を通して、諦めないことの大切さと、チームワークの素晴らしさを改めて学びました。私のかけがえのない財産です。
秋元茂(あきもと・しげる)
1990年ミサワホーム㈱に入社。技術・設計部門で技術開発業務に従事。南極関連業務は1997年からミサワホームが供給する建物の設計、部材製作等の業務に従事し、最初の担当建物は第2居住棟。その後NHK放送棟(現:非常用物品倉庫)、夏期隊員宿舎の増築及びリフォーム等を担当する。2009年「第51次日本南極地域観測隊 越冬隊」に参加。設営部門・建築担当として自然エネルギー棟の建築工事に携わる。2011年3月に帰国後、ミサワホーム(株)技術部に所属。現在は「南極クラス」の南極先生として南極講演活動も行う。
決断、対応力、発想が求められる日々。心を癒やしてくれたかけがえのない仲間との絆第53次 日本南極地域観測隊員堀川秀昭
オーロラをバックに記念撮影。見るもの、聞くもの、触れるもの、それらすべてが初めての体験だという。それが南極での暮らしだ。
冬季はマイナス40℃を下回ることもある寒さ、そして吹き荒れるブリザード。そんな過酷な自然環境に建つ昭和基地で建物を建設するには、日本の現場にはないさまざまな苦労がある。
「やはり、一番厳しいのは寒さです。たとえばマイナス40℃では、屋外作業は15分が限度です。完全に体が凍え切ってしまいます。室内で30分くらい温まらないと体が復活しないんです」
堀川元隊員が1年4ヶ月過ごした昭和基地。建設という主たる作業はもちろん、ここではあらゆる活動を限られた人数でこなさなくてはならない。
そう語るのは、ミサワホームの大工職・堀川秀昭元南極地域観測隊員(以降元隊員)だ。第53次南極地域観測隊の一員として、1年4カ月もの南極生活を経験した。
「屋外作業中に、うっかり釘を口にくわえてしまうなんて失敗もありました。あっという間に凍って、唇に釘がくっついてしまうんです。無理に取ろうとすると唇まで剥がれてしまいますから、室内で自然に融けるのを待つしかないんです」
昭和基地よりも1000㎞ほど内陸にある「ドームふじ基地」にも随行。そこでは、空気の薄さにも悩まされたそうだ。
「富士山よりも高い3810mという高所ですから、空気がとても薄いんです。はしごに上っただけで息苦しくなるほど。高山病にも似た症状に悩まされる隊員もいましたね」
そうした数々の厳しい作業を経験してきた堀川元隊員だが、彼にとってもっとも辛かったのは、帰国することだったという。
「帰りたくなかったからです(笑)。まだまだ南極にいたかったですね」
限られた物資と、限られた人数で、あらゆる問題に立ち向かわねばならない南極での生活。だが堀川元隊員にとっては、人生観を一変させてしまうほどの素晴らしい体験だった。
「南極では自分自身が決断を下さなければならない場面が非常に多い。臨機応変な対応力や発想力も求められます。また、同じ苦労を分かち合った仲間との絆も、かけがえのないものです」
帰国後の堀川元隊員は、本業である大工職の合間を縫って、「南極クラス」の先生として全国の小中学校を飛び回っている。南極クラスは、東日本大震災をきっかけに被災地支援の一環としてスタートし、未知なる世界である南極での活動を、未来を担う子どもたちに伝え、夢や希望を届ける出張教室の名称だ。現在は全国的な活動として、各地の学校や病院などでも展開している。
「私は子どもの頃に自分の『夢』を見つけることができませんでした。そのまま大人になってしまったけれど、38歳になって突然南極行きが決まり、素晴らしい経験をすることができました。今の子どもたちのなかにも、かつての私同様、夢を見つけられずにいる子どもは大勢いると思います。南極クラスを通じて、そんな子どもたちへメッセージを届けたい。興味があれば、何でも臆せずチャレンジして欲しい。その経験はいつか夢が見つかったとき、必ずつながっていくはずです」
南極での貴重な体験は、堀川元隊員にとっての大切な財産として今も輝いている。
堀川秀昭(ほりかわ・ひであき)
1972年生まれ。1997年より東京ミサワ建設(株)にて大工として住宅の施工に従事。2011年「第53次日本南極地域観測隊 越冬隊 建築・土木部門」に参加。夏期は自然エネルギー棟建設工事等の建築工事に携わる。越冬期後半には日本最南端の基地「ドームふじ基地」の内陸旅行に同行して、天文観測架台建設工事の指揮をとる。2013年3月に帰国後、ミサワホーム(株)MRD・法人推進部にて「南極クラス」の南極先生として南極講演活動を行う。同年7月より現場復帰して大工をしながら南極先生として全国を飛び回る。
限られた環境で創意工夫を愉しむ第53次 日本南極地域観測隊員堀川秀昭
昭和基地から1000km離れた「ドームふじ基地」へ向かう雪上車の隊列。一瞬たりとも同じ表情を見せない南極の美しい風景が続く。
人生、何があるのかわかりません。ある日、大工の棟梁から、携帯電話で「南極へ行くか?」と聞かれたのがそもそものきっかけでした。海外旅行はおろか、飛行機にも乗ったことのない私が、まさか南極大陸で越冬することになろうとは......。
私の任務は、昭和基地建物のメンテナンスと、自然エネルギー棟建設です。南極に到着以来ようやく生活に慣れてきた頃、なんと南極観測船「しらせ」が接岸できないという事態に。そうなると、「しらせ」から基地に運び込まれる物資には限りがあり、燃料、食料、観測用資材が最優先。建設用の資材までは手が届かず、結果的に自然エネルギー棟の建設を終えることはできませんでした。
それでも、日々、たくさんの仕事があります。わずか31人の隊員で食事からそれぞれの任務まですべてをこなすのですから、お互いに助け合わなくてはなりません。それがとても楽しいのです。というのも、そこでは誰もが知恵を絞り、次々にアイデアを出し、そのアイデアを実現するために、さらに見事な創意工夫が生まれる。南極での生活は、考える力、実現する力をどこまでも広げてくれるのです。
その延長線上? ともいえるのが、4〜5人の仲間でつくった「気まぐれスイーツくらぶ」です。限られた材料で、生チョコレート、パウンドケーキ、レアチーズケーキに、なんと生八つ橋までつくりました。八つ橋の中身はズンダでしたが。
「ドームふじ基地」で望遠鏡の架台設置を終えての記念撮影。ここへは限られた隊員しか来ることができない。
また、仕事では1000㎞離れた「ドームふじ基地」への旅もありました。この基地は、映画『南極料理人』の舞台になったところで、現在は無人。そこへ天文観測用望遠鏡の架設台を設置し、観測データを収集するための布石を打つのが任務でした。5台の雪上車が隊列を組んで進むのですが、時速はなんと5〜7㎞。日中はもっぱら雪上車の運転で、食事も睡眠もほとんどが雪上車の中。
1000㎞を走破するのに約2週間も費やす長旅でした。雪と氷に埋もれたかつての基地を掘り返してみると、10年前の燃料や牛乳などを発見。燃料はもちろん凍ってはいません。牛乳も温めて飲んでみると、とても美味。
こんなふうに、南極での生活は発見と感動に満ちていて、何ものにも代えがたい素晴らしい経験をもたらしてくれました。
堀川秀昭(ほりかわ・ひであき)
1972年生まれ。1997年より東京ミサワ建設(株)にて大工として住宅の施工に従事。2011年「第53次日本南極地域観測隊 越冬隊 建築・土木部門」に参加。夏期は自然エネルギー棟建設工事等の建築工事に携わる。越冬期後半には日本最南端の基地「ドームふじ基地」の内陸旅行に同行して、天文観測架台建設工事の指揮をとる。2013年3月に帰国後、ミサワホーム(株)MRD・法人推進部にて「南極クラス」の南極先生として南極講演活動を行う。同年7月より現場復帰して大工をしながら南極先生として全国を飛び回る。
自然が織りなすアートな世界第47次・50次・52次・53次日本南極地域観測隊員井熊英治
南極と聞くと、おそらく激しい風と雪が吹きすさび、外へ出ようものなら一瞬にして凍りついてしまうとてつもなく厳しい自然を思い浮かべることでしょう。もちろん、そうした瞬間もたくさんありますが、澄んだ大気のなかで穏やかな表情を見せる季節もあります。それが、南極の夏。私が初めて降り立ったときも、そんな夏の時季で、眼前には広大で岩盤に囲まれたごつごつした世界が広がっていました。隊員同士では、「まるで火星のようだね」とよく話します。もちろん、誰も火星に行ったことはないのですが。
日々発生するブリザードなど過酷な自然環境の中での作業が行われる。
そうした夏の時季は、隊員にとってはまさに働きどき。気温も比較的穏やかで、戸外での作業をこなしていきます。私の場合は、管理棟や隊員の住居のメンテナンス、当時新たな建設が計画されていた自然エネルギー棟のための地盤調査などが主な仕事でした。昭和基地で働く30数名の隊員は、観測から医療、食事の準備に至るまで、さまざまな任務を課されたそれぞれの分野の専門家集団です。自分の仕事をこなすことが最も重要なことですが、とにかく30数名しかいませんから、必要に応じてお互いに協力し合うこともとても大切になります。つまりチームワークなくして、南極での任務を果たすことはできません。
朝から夕方まで働いた後の楽しみは、やはり食事。そこでの、創意工夫によってつくられた食事は美味しく、明日への活力となるのはもちろんですが、美味をさらに味わい深くしてくれるのが、仲間達との会話です。とにかく周囲にいるのは専門家ばかり。気候や地質など専門的分野の話をプロ中のプロから聞くことができる。そして「すごい仲間と出会ったんだ!」といううれしい思い。これもまた、南極でしか味わうことのできない醍醐味のひとつかもしれません。
そうした日々の繰り返しですが、自然には何一つとして同じものはありません。たとえば、オーロラ。風にそよぐカーテンのような光がよく紹介されますが、他にも、光が放射状に広がるもの、渦状のものなど形はさまざまです。その美しさは、まさに自然がつくり出したアートといえます。また、足下を見るとガーネットやルビーといった宝石の小さな原石がたくさん転がっています。それらは、地球がとてつもなく長く生きてきた片鱗を垣間見るようで、改めて地球とは何かということを考えさせられます。
井熊英治(いくま・えいじ)
1969年生まれ。1997年、ミサワホーム近畿建設入社。ミサワホーム直施工会社の社員として住宅の施工管理に従事。2005年11月より、「第47次南極地域観測隊(越冬)」に参加。以降、第50次南極地域観測隊 越冬隊、第52次南極地域観測隊 夏隊、第53次南極地域観測隊 夏隊に参加。現地設営部門、建築担当として活躍、2007年3月帰国。2012年4月よりミサワホーム(株)MRD・法人営業部に所属し、全国各地で「南極クラス」を実施している。
マイナス45℃の過酷な自然環境 南極の建物に求められる性能とは第58次日本南極地域観測隊長本吉洋一
夕暮れの南極昭和基地。写真中央の建物が管理棟。 撮影/第55次南極観測地域隊 鯉田隊員
第1次南極地域観測隊が観測船「宗谷」で日本を旅立ったのが、1956年11月のこと。 今年60周年を迎えた南極観測は、その長い歴史のなかで数多くの成果を上げてきた。 活動拠点である昭和基地の建物と暮らしについて、3度の隊長経験を持つ本吉洋一さんに伺った。
1957年の昭和基地建設によって、本格的な幕開けを迎えた日本の南極地域観測。その前年に始まった観測隊の派遣は、2016年11月に出発した隊で第58次を数えるまでになっている。
「南極は、わずかな油断で、あっという間に命を落としてしまう場所なんです」
南極の自然環境の過酷さを語ってくださるのは、8回もの南極観測隊の参加経験を持つ本吉洋一さんだ。
隊長が暮らす「居住棟」。秒速60mのブリザードが吹き荒れると、風向きによっては56tの凄まじい力がかかる計算になる。3日以上も続く暴風雪にも耐えるためには、強靭な構造と高い施工精度が不可欠だ。 撮影/中山由美 写真提供/朝日新聞社
「とりわけ厳しいのは、気温と風です。昭和基地では、最も下がったときの気温がマイナス45℃。ブリザード(暴風雪)では、ひどいときで秒速60mもの強風が吹き荒れます。視界が奪われ、ときには自分の手の指すら見えないほどです。もちろん外出は不可能。建物内でブリザードが過ぎ去るのを待つしかありません。そこでは建物が命綱です。建物が壊れてしまったら命を守るすべがないのですから」
3~4日間ほどは続くというブリザード。その間、隊員たちは、かなりの恐怖感と戦わなければならないのではなかろうか。
「いいえ、意外とふつうに暮らしていますよ。建物が非常に頑丈にできていますから。室温も20℃以上に保たれて、とても快適です」
第10居住棟(1968年建設)の120mm木質パネル。室内と室外の温度差が最大70℃にもなる過酷な環境で快適に暮らせる断熱性能を備える。
快適性を実現しているのは、優れた断熱性・気密性をそなえた木質パネルと、高い強度が得られるモノコック構造だ。
木質パネル工法による南極基地の建物は、耐久性にも優れている。場所が場所だけに簡単には建て替えられない。最も古いのは、第1次の観測隊が建てたもの。築60年になるが、今も現存している。
南極で隊員が暮らす約4畳の個室。室温が常に快適に保たれているため、Tシャツなどの軽装で過ごす隊員もいる。
こうした南極の建物は、日本で一度仮組をして強度などを検証し、その後、解体して現地へ運ばれる。現地での施工は、専門家の指揮のもと、研究者など職種に関係なく、多くの隊員が手伝って行うという。
「建築の素人である隊員が施工しても、高い精度で組み立てられるようによく考えられています」
本吉さんは、最後にこう付け加えてくださった。
「南極の生活は、建物への信頼があるから成り立っています。屋外での活動を終えて建物に入った瞬間、心からホッとします。まさに我が家という感じですね」
安心と快適を実現している南極の建物。高断熱、高気密、高耐久、高精度など、ここで鍛え上げられた技術は、日本での高度工業化住宅の発展に活かされている。
本吉洋一(もとよし・よういち)
1954年生まれ。大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立極地研究所教授。極域科学資源センター長、極地工学研究グループ長、広報室長を務める。専門分野は地質学。2016年11月に出発した第58次南極地域観測隊の隊長。南極地域観測隊に参加するのは、1981年から2009年の間に計7回、今回で8回目となる。
南極をもっと知ることができる!
国立極地研究所 南極・北極科学館
住所/東京都立川市緑町10-3
http://www.nipr.ac.jp/science-museum
南極や北極ではどんな観測や研究がおこなわれているかを紹介する広報展示施設として、2010年にオープン。南極観測で実際に使用された数多くの「実物」が展示された館内では、南極の氷や隕石をはじめ、南極点まで走破した雪上車などの実物に触れることができる。入館無料で、撮影も自由だ。
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