Column│新しいライフスタイルのご提案や、子育て、オーナーさまのこだわりのお宅拝見、
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子どもたちに「愛」を伝え続けるミッフィーの世界ディック・ブルーナ・ジャパン代表取締役社長鐵田昭吾さん

ディック・ブルーナ・ジャパンは、ミッフィーの版権を管理する日本の拠点。
ブルーナ氏が託した想いを大切にしながら、日本での展開に意欲的に取り組んでいる社長の鐵田さんに、昨年、誕生 60周年を迎えたミッフィーについて伺いました。

フォルムの魅力


ブルーナさんはもともとグラフィックデザイナーで、自分のお子さんに聞かせるためにお話をつくっていました。そのキャラクターの一つがミッフィーで、1955年に本国オランダで「ナインチェ」という名前で絵本デビューしました。日本には64年に「うさこちゃん」として紹介されましたが、海外での翻訳はイギリスとともに世界で一番早かったと記録されています。
ミッフィーの人気は、フォルムの愛らしさと扱うテーマの普遍性にあるのではないでしょうか。たとえば、おばあちゃんが亡くなり、家族でお墓へ行って、そこでおばあちゃんと心をつなぐ。あるいは片耳がたれているクラスメイトに対し、本人が嫌がる呼び方をするのをやめようと友だちに訴える。そうした誰にでも起こりうる出来事をやさしく展開していますから、親御さんが最初にお子さんに読み聞かせる絵本として、とても安心できるのでしょうね。

初期のミッフィーは耳もとんがっていて、現在とは異なる姿をしていました。マチスといった画家から影響を受けたブルーナさんは、「シンプルなものほど心に訴えかける」という哲学を育み、ミッフィーのフォルムもできるだけ線を省くことで生まれました。見る人の想像の余白を残す、ということですね。色も同様で、赤・黄・青・緑のブルーナカラーが基本。たとえば背景色は、室内は赤、室外は緑。うれしいときは赤や黄、悩んだり反省しているときは青と、ミッフィーの心情や環境を色で巧みに表しています。
また、ブルーナさんは「読み聞かせ」をとても大事にしており、それが一番好きな時間だと語っています。本人が読み聞かせをした際、子どもたちが目をじっと見つめたり、絵本に釘付けになっている様子を見て、ミッフィーの目を正面向きに描くようになりました。目にも、読者としっかり向き合いたいという想いが込められているのです。

愛情あふれる家庭


ブルーナさんは両親から愛情豊かに育てられたことが、大人になるにつれ、勇気となり、力になったと語っています。お父さんは出版社を経営するやり手のビジネスマンで、長男としてディック少年に厳しく接することもあったでしょう。一方で、お母さんは絵を描きたい彼の心を理解し、やさしく見守ってくれた。そんな幼少期の環境が原体験として後に影響することを実感し、その想いを絵本にも託しているのだと思います。


ミッフィーのキャラクターライセンスを結ぶ際、大事にしていることの一つは、お互いの理念への共感と、一過性ではない取り組みです。ミサワホームさんは、一貫して「住まいは子育てのために」としての住まいを追求し続け、長きにわたって大切にしてくださっています。住まいというハードと家庭というソフトは、子どもの成長にとっての両輪ですから、ミッフィーが少しでもそのお手伝いができたらと思っています。
大人のミッフィーファンも多いのが日本の特長です。60周年を機に、できるだけ多くの方にミッフィーの魅力と、そのキャラクターを活かした商品のよさが伝わるよう、これからも努めていきたいですね。

Illustrations Dick Bruna © copyright Mercis bv, 1953-2016 wwww.miffy.com

鐵田昭吾 (てつだ・しょうご)

1963年、大阪生まれ。外資系商社を経て、ディック・ブルーナ・ジャパンへ。2005年に代表取締役社長に就任、現在に至る。

ご縁とタイミングこそ家づくりの鍵イラストレーターめぐろみよさん

記念樹のキンモクセイがアクセントになっている外観。

16年前、土地を購入してアトリエを建てたイラストレーターのめぐろみよさん。
自分にとって居心地のいい空間を求めて、約1年間、契約から竣工に至るまで、アトリエづくりに奮闘しためぐろさんに、当時のことを伺いました。

絶妙のタイミングで出会った運命的な土地

アトリエにはめぐろさんの素敵な作品がところ狭しと並ぶ。

私がアトリエを建てた経験から、思うのは「家づくりはご縁とタイミングが大事」ということです。
もともと自宅近くにアトリエを借りていたのですが、税理士さんに「家賃を考えたら買ったほうが得策ですよ」と言われ、その気になりつつあったとき、たまたま一枚のチラシに目をとめました。
それは自宅近くに建設中の新築マンションの広告で、部屋のつくりは私の希望に叶うものでした。ワクワクしながらモデルルームへ行ったのですが、そこは思い描いていたイメージとはまるで異なる空間でした。アトリエには愛犬パトも一緒に通勤したかったのですが、ペットも不可。これではマンションを諦めざるをえず、がっくりと気落ちして帰ってきたのです。
それでも、買おうという気持ちのボルテージは高まるばかり。そんなときに、自宅のすぐそばで、土地が売り出されていることに気づいたのです。それは、建築条件付きの土地で、私は「ここしかない!」という運命的な出会いを感じました。「ここなら自分が欲しいと思うアトリエがつくれそう!」と、ピンときたのです。
3日後には、土地売買の仮契約を交わしていました。まさにご縁とタイミングがピタリと合ったからこその早ワザです。

2階は打ち合わせスペース。3階への吹き抜け部分から下げられた吊り椅子は、めぐろさんのこだわりのひとつ。エレガントな曲線が空間にやさしく揺れる。これはめぐろさん自身が天井から吊り下げたという。

ほんの少し前までは、自分が家を建てるなんて思いもしませんでしたから、当時の私はずいぶん向こう見ずでした。「建築条件付きの土地って何?」「この価格は高いの?それともお買い得?」「契約はどうしたらいいの?」といった具合で、不動産については何も知らなかったのです。むしろ知らないことが幸いし、タイミングを逃さずにすんだともいえます。
土地を買う、家をつくるという行為は、少し結婚と似ているのかもしれません。結婚も、男女の出会いというご縁と、「今なら」というタイミングが肝心。実際、私の場合はまさにそのふたつが重なることで、居心地のいいアトリエを手に入れることができたのですから。また、アトリエを建てようと思った16年前は、景気が低迷していたとはいえ、現在ほど深刻な状況ではありませんでした。そんな時代も家づくりを後押ししてくれたと思います。

プロの現実的なアドバイスでしっかりできた資金計画

1階には和室があり、客間としても利用。京都で見つけたうさぎの屏風がよく似合う。

土地を見つけたのはいいのですが、今度はお金を準備しなくてはなりません。買いたい気持ちは一人前でも、お金については不動産と同じぐらいの素人。そこで税理士さんに、現実的かつプロフェッショナルな視点からのアドバイスをいただきながら進めることにしました。
そもそも、どれほどの資金を用意したらいいのか。不動産を買うなら、総額の1割以上のお金を別に用意しておくようにとは聞いていました。消費税や不動産屋への仲介手数料、印紙税、登記料、不動産取得税のほか、各種事務手続きにかかる費用も必要になります。それに引越しや新しい家具の購入代金まで加えると、相当の余裕をみなくてはなりません。
ある程度の自己資金はありましたので、不足分を銀行ローンで補うことにしたのですが、銀行の審査がまたドキドキものでした。有限会社とはいえ小さな個人事務所の代表にすぎない私に、多額のお金を貸してくれるのかどうか。税理士さんと相談し、銀行へは必要書類のほかにこれまでの作品をいくつか持参して頼むことに。偶然にも、銀行のローンセンターにいた女性担当者が私のイラストを知っていたというラッキーもあったのでしょう。私の心配をよそに、すんなり審査もパス。それでもまだまだ油断は禁物でした。

めぐろさん手づくりの表札が迎えてくれるエントランス。

というのも、私のような注文住宅では、いったん工事が始まると、「払えなくなりました」ではすまされません。建築条件付きの土地は、土地の売買契約から3ヵ月以内に工事を始めなくてはならず、いつ、どれだけの金額を支払うのか、計画的に考える必要がありました。結局は、上棟式、木工事の完了時、引渡し時の3回に分けて支払いましたが、総額は当初を大幅に上回ってしまいました。
なぜなら追加でいろいろとオーダーしてしまい、完成までの間にいくつかの変更があり、そのたびに金額が変わっていったからです。私は、埋め込み式スピーカーを付けたい、建具にチェッカーガラスを入れたい、ワイヤー照明にしたいなど、あれやこれやと思いが募り、それに比例して請求額もどんどん膨れ上がったのです。

めぐろさんがアトリエを建てたときの様子をつぶさに語った『私とパトが建てた居心地のいい家』(講談社SOPHIA BOOKS)。間取り、建具、パーツ選び、材質や色など、自分らしさへのこだわりがイラスト入りで描かれている。ちなみに愛犬パトちゃんはすでに安らかに眠り、今はパト丸君がめぐろさんとともにアトリエで過ごしている。

契約したのが冬晴れの1月。桜も散った4月に着工し、以来毎日のように愛犬パトと現場に通い、工事をつぶさに見ていました。同時に、たくさんのショールームへ足を運んで設備やパーツなどを選ぶ日々。もちろん仕事をしながらの奮闘でしたが、自分の目と足で納得のいく家づくりをしたという実感があります。そして約半年後の秋も深まる頃に完成、引越しました。師走の慌ただしい12月に工事費用の最終精算をすませたときには、心の底からほっとしました。
あれからもう16年。こうして思い起こしてみると、家づくりへのトキメキが懐かしく思い出されて、歴史を重ねてきたこのアトリエが、ことさら愛おしく感じます。

めぐろみよ

新潟県に生まれる。イラストレーター。テキスタイルデザイナーを経て、セツ・モードセミナーを卒業。女性誌や広告のイラスト、本の装幀画などで活躍するほか、エッセイやオブジェも手がけている。著書に『もののなまえずかん』(学研)、『手作りスケッチ』(ほるぷ出版)、『みつける・集める・つくる』(集英社be文庫)、イラストで綴るマクロビオティックの本(大和書房)などがある。

庭はもう一つの部屋という想い英国園芸研究家ケイ山田さん


長野県蓼科高原にある「バラクラ イングリッシュ ガーデン」は、ケイ山田さんが創り出した日本初の本格的な英国式庭園だ。
ケイ山田さんがデザインするイングリッシュガーデンには、「庭はもう一つの部屋」という想いが込められている。

自然のハーモニーに満ちた英国庭園の美に魅了されて

緑のアーチの向こうに素焼きの壷を配置してひとつの景色をつくる。

クレマチスで覆われたドーム型のエントランスをくぐると、レモンライム色の葉を天高く広げた黄金アカシアの大樹が抱擁するように出迎えてくれた。オープンして26年。「バラクラ イングリッシュガーデン」の歴史と共に生長してきたシンボルツリーである。約1万平方メートルにも及ぶ敷地を散策すれば、つるバラのアーチやオベリスク、素焼きの大鉢などがバランス良く配され、樹木や草花が織りなす美しい景色に目が潤う。
ケイ山田さんがイングリッシュガーデンに初めて出会ったのは、今から30年以上前のこと。「バラ色の暮し」という自身のオリジナルブランドのデザイナーとして、服の素材を求めてヨーロッパの国々を巡るなかで、ひときわ心惹かれたのが英国の庭園だったのだ。

大きなコンテナはどれも花盛り。素敵な洋館と植物の調和が美しい。

「人の手が加えられているのに、全く人工的だと感じさせないナチュラル感のある庭づくりに心が打たれたのです。四季折々の植物が楽しめるのはもちろん、樹木が葉を落とす冬の景観までも美しくデザインされているのが素敵で。日本でこんな英国風の庭のあるゲストハウスをつくって、自然のなかでお客様をもてなしたいという想いが私の中に沸き上がりました」 しかし、今でこそ店頭にさまざまな苗種が並ぶが、当時はイングリッシュガーデンにふさわしい植物の種類が日本にはほとんどなかった。「つくるからには真似はイヤ」と本物にこだわったケイさんは、英国からまず2500種の輸入を試みる。ところがたった1種の植物に虫がついていたために検疫で全部返されてしまったのだ。

プライベートガーデンの入口。壁を這うツタは秋には赤く紅葉する。

「心の底からガッカリしましたが、気を取り直して翌年は土をきれいに落として輸入し、畑で養生させてから植え込みました」
また、レンガの張り方、剪定の仕方ひとつ日本とは違うことから、地元の業者はお手上げだった。ならば石工もガーデナーも本場イギリスから呼ぶしかない。試行錯誤を繰り返し、ようやく庭園の形をなす7年目までは苦労の連続だったと振り返る。

ライフスタイルによって理想の庭のあり方は変わる

つるバラやパンジーで彩られた外壁も素敵な雰囲気。

イングリッシュガーデンに憧れる人は多いが、住む人のライフスタイルによって理想の庭のあり方は異なってくる。眺めるだけでいいのか、そこでくつろぎたいのか、庭いじりをとことん楽しみたいのか。「まず庭とどういう付き合い方がしたいのかを明確にしてから植栽プランを立てて」とケイさん。たとえば忙しさのあまり、庭の手入れに時間を取られるのがストレスになるようでは本末転倒である。
「そんな方には、草花ほど手間がかからない高木や灌木を多用した庭をおすすめしたいですね。種類を選べば花や実も楽しめますから」

もうひとつ忘れてならないのが環境である。土壌の性質、風向き、日当たり、気候などを知って、環境に合った植物を選びたい。
イングリッシュガーデンでもっとも大切なのは、「骨格」をつくることだとケイさんは考えている。
「よく失敗しがちなのが、最初に骨格、つまり全体のデザイン構成を考えないで、好きな植物を手当たり次第植えてしまうことです。生長してから手が付けられなくなり、困って相談にみえる方は多いですね。特に高木はどこまで高く生長するのかを確認し、庭の大きさに合わせて選んでください」

庭を家と一体になったアウトドアリビングに


庭と建物は別々の存在ではない。両者が一体となって、一つの住環境をつくりあげてゆく。したがって庭をつくるときには、家とどのようなつながりを持たせるかもあらかじめ考えておきたい。
「私の師であるジョン・ブルックス氏は、『庭はもう一つの部屋』という気持ちでデザインしなさいと言いました。この言葉を聞いたとき、なんと素晴らしい考え方だろうと心の眼が開かれた思いがしたものです。ですから私は屋内から出入りしやすい形やリビングのソファーからの眺めも考慮して庭を設計しています」

緑に覆われた風情豊かな洋館。

そんなケイさんが暮らすのは園内に佇む3階建ての木造の洋館。リビングの外にはレンガ敷きのテラスがあり、芝生の美しいプライベートガーデンが広がる。このテラスでお客様とお茶を飲んだり、本を読んだり、庭をアウトドアリビングとして活用している。まさに「もう一つの部屋」である。

ケイ山田さんが暮らす洋館の前に広がるプライベートガーデン。季節の草花が美しく咲き誇る。

バラクラ イングリッシュ ガーデンを見てもわかる通り、良い庭は一日にしてならず。ガーデンライフを楽しみながら、年月をかけて育てていくところに醍醐味がある。「決して焦らないで。そして神経質になりすぎないで。失敗したら、またやり直せばいいのですから。子どもの成長を見守るように、ゆっくりと慈しみながら育てていきましょうよ」とケイさんは素敵な笑顔の花を咲かせた。

ケイ山田 (ケイ・ヤマダ)

英国園芸研究家。ライフスタイルを提案するブランド"バラ色の暮し"を1972年に設立。服の素材を求めてヨーロッパをまわるうちに、英国の庭の美しさに魅せられ、1990年に長野県茅野市に本格的英国式庭園「蓼科高原バラクラ イングリッシュ ガーデン」をオープン。2002年、世界で最も権威のある「チェルシー・フラワーショー」の最難関部門で準金賞を獲得。現在、公共や個人の英国庭園のデザインなど幅広く活躍中。

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那須の自然と共存する暮らしで見つけたものタレント高木美保さん


1998年に栃木県の那須高原に移住し、現在は那須と東京を行き来する生活を送る高木美保さん。
都会を離れたことで何が見えてきたのだろう。自然の木立ちの中でどんな暮らしを楽しんでいるのだろう。
気候風土に適した家づくりの工夫や、愛猫のための部屋づくり、お気に入りの寛ぎ方などをお伺いした。

自然に迷惑をかけない家づくりにこだわった


ご両親と過ごすリビング。手前が高木さんのソファ。

高木美保さんが生まれ育った東京から栃木県の那須高原に移り住んだのは18年前のことだ。
「仕事に追われ、心身共に限界だったとき、自然の中で暮らせば絶対に元気に生き返ることができると本能的に感じたのです。それで雑木林に囲まれた那須高原の別荘地を購入して家を建て、田舎暮らしを始めました」
家づくりにあたっては、「自然にご迷惑をおかけしない」をコンセプトにしたという高木さん。建てるときはもちろん、老朽化して壊さなければならないときも汚染物質を出さない建材や塗料を選び、当時はまだ珍しかった太陽光発電システムも装備して、エネルギーを自給できる暮らしを目指した。


冬は和室の掘り炬燵で家族団らん。足下で愛猫のみゅー君も丸くなる。

また、那須特有の厳しい気候風土とうまく付き合うための工夫も怠りなく採り入れている。
「我が家の玄関は北側にあるのですが、この地域では冬になると北から強烈な風が吹くので、開け閉めする際にドアがあおられて危険です。だから勝手口を東側に設け、その北側に風よけの壁を造ってもらいました」
雑木林に面した南側に和室を設けたのは、冬は落葉樹の葉が落ちて陽光が燦々と入り、畳に熱が蓄えられるから。夏は葉が生い茂って日射しを遮るので涼しく過ごせる。これも自然と幸せに共存するための知恵である。

日当たりのよい和室を愛猫のプレイルームに


和室の壁にキャットステップを付けて愛猫のプレイルームに。

もうひとつこだわったのは、ペットが快適に暮らせることだ。南側のいちばんいい場所にある和室は、愛猫が楽しく過ごせるプレイルーム。壁には高さを変えたいくつものキャットステップを取り付け、電動で昇降する掘り炬燵もしつらえている。
「日当たりの良い場所で好きなだけ寝たり、高いところに登って遊んだり。冬になると炬燵でぬくぬくと丸くなってホントに気持ちよさそう。外のデッキで日向ぼっこもできますから、猫にとっては天国でしょう。私はそこにお邪魔して畳でゴロンとするのが好きで。いわば猫ハウスに人間が間借りさせてもらっている感じですね(笑)」


2階は高木さんの専用フロア。書斎のソファで読書にふけるのが至福のひととき。

1階には和室の他に同居するご両親の部屋やリビング、ダイニングキッチンがあり、2階に高木さんの寝室や書斎がある。現在、東京都内の家との二重生活を送る多忙な高木さんにとって、書斎の南側に置いたソファで静かに読書にふけるひとときは誰にも邪魔されたくない充電時間だ。顔を上げると窓から四季折々の美しい自然が広がり、疲れた目を癒してくれるという。さらに高木さんは、茶目っ気たっぷりにこんな憩い方も教えてくれた。


アイアン製のベッドがエレガントな寝室。

「2階に洗面所とワンルームになった私専用のトイレがあるのですが、ある寒い朝、便座を椅子がわりに足湯を始めたら、気持ちがよくて和んじゃったんです。それで漫画やDVDを持ち込み、ついには冷蔵庫も置いてトイレで寛ぐようになりました。『ちっちゃいリビング』と呼んでいます(笑)」


書斎の出窓から四季折々の雑木林の風景が眺められる。

人間関係で物事が進む東京で生きていくにはときに自己主張が必要だが、那須では自然が相手。なによりも謙虚になることがうまく暮らすコツだ。
「那須おろしの強風に屋根が吹き飛ばされそうになったり、雷が落ちて停電したり。自然の力は脅威ですが、それを当然のことと受け止め、逆らわないで生きていく生活をしていると、いろんな執着がなくなって、足るを知り、心が軽くなります」
那須の暮らしでありのままの自分の姿を取り戻した高木さん。住むほどに自然への愛着を増し、本来の居場所に還ったような安堵を覚えている。

高木美保 (たかぎ みほ)

1984年、映画『Wの悲劇』で女優デビュー後、ドラマ『華の嵐』の主役を務め、NHK大河ドラマ等にも出演。1998年、栃木県那須高原に住まいを移し、農業にも取り組む。テレビ番組のコメンテーター、講演、執筆業など幅広く活躍中。

家事と育児に専念するのは夫のツレさん漫画家細川貂々さん


仕事や家事の手を休め、大好きな電車の玩具で遊ぶ息子のちーと君をやさしく見守る貂々さんとツレさん。

細川貂々さんが漫画を描くかたわらで、家事と育児に専念するのは夫のツレさん!


毎日キッチンに立ち、料理や後片付けに精を出すのは夫のツレさんだ。

夫の闘病記を描いた「ツレがうつになりまして。」で知られる漫画家の細川貂々さんは、小学生になる男児のママ。ただし「専業主夫」として家事、育児を一手に引き受けているのは夫の望月昭さん、通称ツレさんだ。

家事が苦手な妻を見かねリハビリの思いで肩代わり


ダイニングの一角に置いたデスクが貂々さんの仕事場。家族の温もりを感じながらペンを走らせる。

貂々さんとツレさんご夫妻のお住まいは、兵庫県宝塚市にある3DKの賃貸マンション。東日本大震災で千葉県浦安市の自宅が液状化の被害を受けたのを機に、関西に移住。ここで貂々さんは在宅ワーカーとして漫画家稼業に精を出し、ツレさんが家事と5歳になる息子さんの子育てに専念している。
二人が結婚した頃、ツレさんは超多忙な会社員で、家事は専業主婦だった貂々さんに任された。ところが貂々さんは料理も掃除もまるでダメな人。
「初めてお味噌汁を作るとき、乾燥わかめをそのままザザッと入れたら、とんでもない量にムクムク増えて仰天しました。半年以上も冷凍していたお肉を使ってお腹を壊したこともありましたし。とにかく家事オンチで、水洗トイレの『水洗』は自動で洗える意味だと思い込んでいたくらい。だから、掃除はしなくてもいいんだと...。実家は汲み取り式だったから誤解していたんです(笑)」
整理整頓も大の苦手。当時のリビングはモノが散らかって足の踏み場もない状態で、乾いた洗濯物を積み上げた山に飼っていたペットのイグアナが登り、「イグアナ御殿と化していた」そうだ。
「あまりの乱雑さに耐えきれずに根負けした方が、怒りのパワーを駆り立てて片付ける感じでした」とご夫妻は照れ笑いする。
一方のツレさんは、実は昔から家事はお手のもの。「高校に入るときに両親が海外赴任になり、祖母宅に預けられたのですが、そのとき祖母から家事の基本を仕込まれたのです。お漬け物や梅酒の作り方も教わりました。やってみるとけっこう好きで、自主的に家事をする癖はそのときについたのかもしれません」
2004年、外資系IT企業に勤めていたツレさんは突如うつ病に襲われ、会社を辞めて闘病生活を余儀なくされる。
「リハビリ代わりにできることからやってみようと思って、彼女が苦手な家事を肩代わりするうちに、気がついたら『専業主夫』になっていました」

授乳、おむつ替え、離乳食 育児もパパが主役で大奮闘

結婚12年目、そんな夫妻に長男のちーと君が誕生。貂々さんの母乳が出なかったこともあって、首が据わる前からツレさんが育児のファーストパーソンとなった。
「ミルクをやって、おむつを替えて、抱っこしてあやして寝かして、離乳食を食べさせて...。すると、ちーとはパパである僕のことを後追いするようになったんです。ちょっと嬉しかったなあ」
目が回るほど大変だったけれど、男性だから育児に困ったことは特にないという。「いつも子どものことを気にしていたので鼻が敏感になって、おもらしをすると、遠くにいてもすぐに気がつきました」と目を細めるツレさんだ。
ちーと君が幼稚園に入ったころ、育児もずいぶんラクになったと話すご夫妻。当時は朝、ツレさんがご飯やお弁当を作っている間に、貂々さんが洗濯機を回し、8時半になるとツレさんがちーと君を幼稚園に送っていく。
「水曜日は幼稚園が午前中だけなので、帰宅して2時間後にまた迎えに出かけなければなりません。だから逆に水曜日の2時間は徹底掃除タイムと決め、帰ったら服も着替えずに、即、掃除機や雑巾を手にして家中をきれいにすることにしていました」(ツレさん)

仕事部屋にこもると子どもが見えなくて不安

ご夫妻は対面式のダイニングキッチンに隣接する和室を開け放して、ワンルームのLDKのように使っている。そのダイニングの隅に置かれたコンパクトなパソコンデスクが今の貂々さんの仕事場だ。ちーと君が走りまわって遊ぶすぐ横で、せっせとペンを走らせる。気が散ったりしないのだろうか。
「本来は北側の一室が仕事部屋なのですが、暖房がなくて寒いので、冬の間はここで漫画を描いているんです。それに仕事部屋にこもると、ドアを開けていてもリビングにいる息子の様子が見えないので、どうしているか気になりますし。本当は個室の方が集中できてはかどるんですけどね」と貂々さん。
特に漫画の構想を練るときなどは集中力が必要だ。だから朝は早起きして、まだ静かなうちに仕事を始め、午後の早い時間に終わらせるようにしているという。
「もし家を建てるなら、リビングの横に本棚がたくさん置ける仕事部屋を作れたらいいなと思います。引き戸を開けておけば、息子が遊んでいる姿が見守れて、閉じれば仕事に集中できるような...」と貂々さん。かたわらでツレさんが、「僕は良いスピーカーを置いて、大好きなクラシック音楽が聴ける部屋がほしいな」と微笑む。
働くのは妻、家事と育児は夫という生活スタイルが、とても自然に感じられるお二人だった。

細川貂々 (ほそかわ てんてん)

1969年生まれ。セツ・モードセミナー卒業後、漫画家、イラストレーターとして活動。夫のうつ闘病生活を描いた『ツレがうつになりまして。』がベストセラーに。結婚12年目に長男が誕生。著書に『その後のツレがうつになりまして。』『イグアナの嫁』(共に幻冬舎)、『親子テツ』(朝日新聞出版)、『いぬがかいたかったのね』(サトシン・作、細川貂々・絵/集英社)など。

望月昭 (もちづき あきら)

1964年生まれ。幼少期をヨーロッパで過ごし、小学校入学時に帰国。セツ・モードセミナーで細川貂々と出会う。卒業後、外資系IT企業で活躍するも、うつになり闘病生活に入る。2006年に寛解し、現在は家事、育児に専念。著書に『こんなツレでゴメンナサイ。』(文藝春秋)、『パパ、どうしてお仕事いかないの?』(幻冬舎)など。

  • 連載「住まいとお金」ファイナンシャルプランナー 久谷真理子
  • わが家の建てどきガイド
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