Column│新しいライフスタイルのご提案や、子育て、オーナーさまのこだわりのお宅拝見、
著名人によるコラムなど、毎月厳選した住まいに関する情報をお届けいたします。

アーティストの原点に戻れる『上野の森』作曲家千住 明さん

森の深さに挑んできた

上野駅から東京藝術大学にたどり着くまでの道すべてが千住さんにとっての散歩コースだが、森を抜けてぱっと開ける東京都美術館と旧奏楽堂付近の雰囲気も好き。

作曲家の千住明さんが愛する場所は東京の"上野の森"。
「東京藝術大学作曲科を2回落ちたとき、代わりに合格発表を見に行ってくれた兄に『落ちて悔しいだろう。だが上野の森は深いんだ。お前は森の深さを知らない』と言われました。
藝大のレベルの高さと無自覚な僕をいさめた言葉でしたが、僕の中で森が急激にクローズアップされた瞬間でした」

噴水前広場から東京都美術館に向かう小道が特に気に入っている。千住さんが学生時代から歩いていた小道はなくなってしまったが、当時の雰囲気を残した道が新たにでき、ここもお気に入りのスポットになりそうだ。

森が確かに深いと感じたのは、受験の帰り道だった。
藝大の試験は約8、9時間にもおよび、千住さんは試験後に東京都美術館から噴水前広場に延びる小道でしゃがみこんでしまったことがあった。
簡単には歩けない、住人にさせてくれない森だからこそ強く憧れた。
「卒業時に僕の曲が藝大買い上げになって、これでやっと森に住人として認められると思いました。やっと、音楽の女神が僕に微笑んでくれたんです」

東京文化会館はアーティストにとっての聖地。美術番組を担当するようになり、上野にはますます頻繁に通うようになっている。

この5~6年、東京文化会館や旧奏楽堂で演奏する機会が増え、また美術のテレビ番組を担当するようになり、まさに森に『呼び戻されているなぁ』と感じるという。
「森を歩くと、気取らない自分に戻れる。行きかう人はいるけれど一人になれる、そんな場所です」

リビングルームは「未来」

「最近、上野の森が様変わりしていますが、僕にとっては特別な場所であることに変わりはありません」と千住さん。

千住さんが現在住むのは、東京都内のマンション。何も置かない「まるでショールームのような」リビングルームが、千住さんのお気に入りの場所だ。
「自宅の仕事場が私の頭のなかのようにごちゃごちゃしている分、リビングルームはまっさらにしておきたいんです」
大きく開かれた窓から一望できる東京タワーと富士山を眺めていると、気持ちに余裕が出てきて、頭を空っぽにできるという。
「上野の森が心のふるさととしたら、リビングルームは未来のイメージですね。今後の音楽をデザインする場所として、空っぽにしておきたいと思っています」
千住さんが今後の音楽生活で力を入れるのは、日本語オペラだ。

「クラシック音楽にポピュラー性をもたせてファンの耳を肥えさせてきた自負があります。ファンの耳にもっと栄養を与えるために、かねてからチャレンジしたかった日本語のオペラを作ります」
日本の古典をテーマとした演奏会形式のオペラを3本上演し、手ごたえを得た。来年は泉鏡花の「滝の白糸」をオペラに挑戦する。 「長年かけて培ってきた僕の奥にある深いものを出したい。これからの25年が第二の本番です」

千住 明 (せんじゅ あきら)

1960年東京都生まれ。慶應義塾大学工学部を経て、東京藝術大学作曲科卒業、同大学院修了。修了作品「EDEN」は東京藝術大学に買い上げられ、永久保存されている。藝大在学中に音楽家としてデビュー、映画音楽やCM音楽を中心に作曲家、編曲家、音楽プロデューサーとしての活躍は多岐にわたる。数年前より日本語オペラに挑戦、2009年と2011年には俳人の黛まどかさんの台本によるオペラ「万葉集」をすでに2本上演、成功をおさめる。東京音楽大学客員教授。

よき仲間の集まる事務所は、御苑を一望できるパワースポット評論家金 美齢さん

二度と手に入らない眺め

東南西と三方向が見渡せる大きな窓。朝から夕方まで日が入り、冬は暖房要らず。風が抜けるのでこの夏も冷房は数回入れただけという。空気の澄んだ日には、携帯電話会社のビルのちょうど右側に富士山が見える。

新宿御苑と、それを囲むビル群、そして空が南側の壁一面の大きな窓にすっぽりおさまって、まるで一枚の絵のよう。
しかもこの絵は四季折々、いや一日の中でも表情豊かに移り変わり、いっときたりとも飽きさせない。評論家の金美齢さんの一番好きな場所は、事務所兼自宅のこのマンションだ。

大好きなオレンジ色のジャケットに身を包んで。

「東京中ではここが一番好き。この部屋に住んで20数年になります。娘のリクエストで別に三世代三世帯住宅を建てましたが、ここを手放したら二度と手に入らないと思い、事務所として残したのです。
そうしたら、周りの皆さんが『よかった~』って私以上に喜んでくれてね。対談でいらしたある化粧品会社の会長さんには『日本三大借景だ。絶対に手放してはいけないよ』と絶賛されるし、私はこの部屋を維持するために働いているようなものよ。数年前に戻ってきたので、いまは『この部屋に住み込みで働いています』と言っているの」
と、大好きな部屋の話に、金さんの声はいっそう華やいだ。

理想の「サロン」を主宰

パーティ時には居間の一角に寿司カウンターがしつらえられる。居間の奥のサンルームは松坂牛の鉄板焼きコーナーに。

テレビでの論客ぶりが印象深いが、一方で実にサービス精神旺盛。人をもてなすことが大好きで、自分もおいしいものが大好き。この部屋を「サロン」と位置づけ、新宿御苑が一番美しい花見の時季と、毎年一日限りの神宮の花火の夜には、ごちそうをたっぷり用意して親しい友人などを招き、パーティを催す。
金さんを核にした新しい出会いがいい人間関係を生み、どんどんつながっていく。流れに乗って、部屋にはいろいろな「福」が舞い込んでくるという。

「南向きでさんさんと日が入ってくるし、人間も空気も循環するから、ここはまさにパワースポット。だから季節のおいしいものがたくさん届くのよ。いまも新潟のコシヒカリに、北海道のジャガイモでしょう。皆さんにおすそ分けもして、『物産の集散地なの』って言って笑っているんです」

真南に新宿御苑が広がる絶好のロケーション。窓を開け放すと、都会とは思えない緑のにおいが飛び込んでくる。日が暮れれば新宿御苑は真っ暗になり、遠くの夜景の美しさが際立つ。

取材に講演に国内外を飛び回る多忙な日々。元気の源は、この部屋で毎朝、1時間半から2時間かけてとる朝食の時間だ。
「新宿の高層ビル群の間から見える富士山を眺めながら、ゆっくり朝食をとるのは、本当に贅沢な時間です。特にこれからの季節は富士山がきれいに見えるでしょう。たっぷりエネルギーをもらって、午後からバリバリ働くのが、理想的な一日の過ごし方ね」
このスペースはすべて自分で設計をしたというくらい、住まいにはこだわりを持つ。
「衣食住のどれも大事だけれど、優先順位をつけるのなら、人生の一番長い時間を過ごす住まいがトップ。好きな家に住んで現役で働くことが、いまの私にとっての一番の幸せです」

金 美齢 (きん びれい)

1934年、台北生まれ。1959年来日、早稲田大学第一文学部英文科入学。大学院生時から多くの大学の講師を歴任。1993年より日本のテレビで提言活動を開始。現在、評論家、コメンテーターとして活躍中。著書に『私は、なぜ日本国民となったのか』(ワック)、『日本を讒する人々』(PHP研究所)など。2010年より20歳~40歳を対象とした「美齢塾」をスタート。JET日本語学校理事長。

ワクワクとスリルが交差する街「渋谷」 漫画家・タレント蛭子 能収さん

40年以上愛し続ける渋谷

「若い頃はとんがった雰囲気の新宿にも通ったけれど、やっぱり渋谷が一番落ち着きます。若い女の人のファッションを眺めるのも好きなんですよ」と蛭子さん。

25歳で長崎から上京して、渋谷の会社に住み込みで働いた漫画家の蛭子能収さん。約40年以上たった今でも、蛭子さんにとって渋谷は特別な街だ。「絶対に映画監督になってやると思っていました。パチンコでどうにか食いつなごうとしたけれどダメで、いよいよ残金5000円になって、ワラにもすがる思いで渋谷の看板屋さんで働かせてもらったんです。
当時から渋谷には小さな映画館が多かったから、仕事の休みの日に映画館めぐりをするのが幸せでね。映画館の看板もたくさん取り付けたんですよ」

井の頭線渋谷駅の近くの路地には、昔の渋谷の雰囲気が残っているという。

当時の渋谷は中高年の男性中心の街だった。映画館の周りには必ずといっていいほど飲食店やパチンコ店が乱立し、雑然とした街を歩くと、背徳的な匂いと都会の真ん中を歩いている高揚感とで、妙にワクワクしたという。
「今でもあちこちに怪しい雰囲気が残っていて、歩いていてもちょっとしたスリルがあるのがいいんですよ。事務所も渋谷だから、円山町のユーロスペースや駅の近くの小さな映画館に行くときに、派手な看板を冷やかしたり、呼び込みのお兄さんに『あ、蛭子さんだ!』なんて言われると、なんだか楽しくなってきちゃうんです」

地方に行っても海外に行っても、歓楽街を歩く。スリルと隣り合わせの気分を味わいながら、街と人間観察を欠かさない。そんな非日常的な光景が、蛭子さんの描くシュールな漫画に生かされている。

映画監督に本格デビュー?

円山町あたりの雰囲気も好きで、桜丘から移転してきたユーロスペースにもよく足を運ぶという。円山町の隣の松濤には、蛭子さんが住み込みで働いた会社「むつみや」が、当時と変わらぬ場所にある。

家の間取りやインテリアへのこだわりはほとんどないが、現在の家を建てる際に唯一リクエストしたのが、広めのベランダだった。
「広いベランダのことを長崎では『やぐら』って言うんです。星座のことはわかんないんだけど、星を見たり、道行く人を眺めたり、ボーっとして過ごしています。街をブラブラするのが好きだから、家の中にずっといるのが苦手で、やぐらに出るとほっとするんですよ」

昭和40年代初頭の渋谷は駅の近くまで住宅街が迫っていた。昭和48年(1973年)、渋谷パルコのオープンをきっかけに、若者の街へと変貌。

2003年に、シンガーソングライターの諌山実生さんのプロモーションビデオ「諌山節考」を制作。短編ではあったが、監督の夢はかなった。その後、長編用のシナリオに着手するが...。
「1時間半の映画になる予定なんですが、何回も書き直しになっていて、イヤになっちゃったから、そのままにしてあるんです。僕、チームで何かをやるのって、苦手なんですよね。ささっとひとりで漫画を描くみたいには、うまくいかないもんなんですよねぇ(笑)」

蛭子 能収 (えびす よしかず)

1947年、長崎県生まれ。25歳で上京して、シナリオの学校に通いながら看板店に就職。その後、ちりがみ交換やダスキン配達をしながら漫画誌「ガロ」に作品を持ち込み続け、33歳で漫画家デビュー。そのユニークなキャラクターで、テレビのバラエティ番組等でタレントとしても活躍。作品を選りすぐった『蛭子能収コレクション』(マガジン・ファイブ)発売中。

釣果を最高の肴にしてくれる寿司屋 野球解説者堀 幸一さん

釣りの後に立ち寄る店

「同居していた祖父の影響で、小さな頃から刺身が好き。『すし処 磯源』でもビールと刺身でのんびりやって、最後に1〜2貫、握ってもらうんですよ」と堀さん。

野球解説者の堀幸一さんの趣味は磯釣り。三浦半島や千葉で磯釣りを楽しんだあと、釣果を持ちこむ東京・大森の寿司店「すし処 磯源」が、堀さんの好きな場所だ。
「大学生の長男が首もすわらないうちから来ているから、もう19〜21年は通っています。釣果を持ち込むとさばいてくれて、刺身やてんぷら、寿司などいろいろな形で食べさせてくれる。残ったら、ヅケにして持たせてくれるんです。腕はしっかりしているけど堅苦しい店ではないし、ラフなかっこうでふらっと来ても気持ちよく過ごせます。現役時代には、週に2〜3回来ることもありました」
ほかの常連さんともすっかり顔なじみで、家族を先に帰して掘さんだけが残り、夜遅くまで飲みながら話し込んでしまうことも。

白身や貝などの淡白なネタが好きな堀さんのために、この日のおつまみはトリ貝、真子ガレイ、イカの3種類。

「僕のところには店にない魚がでてくるから、ほかのお客さんから『それ、なに?』と言われることも多くて、気心知れた方ならおすそ分けすることもあるんです」
子どもの頃から釣りが大好きだった堀さんの今の目標は、60㎝以上のメジナを釣り上げることだ。

「今まで最大で57㎝。メジナは賢い魚で、引く力も強いから何度も糸を切られて悔しい思いをしています。磯釣りは水温や潮の流れを見て常に自分で状況を判断しなければならないし、昨日釣れた場所だからって、今日も同じではない。切られた糸を結びなおすなどで、いっときも気が抜けないし、かけひきをしながらギリギリのところで勝負していると、不思議と日ごろのストレスから解放されるんです。釣った魚がお土産になるから家族から文句も言われないし、飽きることのない最高の趣味です」

自宅でも釣り気分を満喫

大森海岸駅近くに店を構えて26年になる『すし処 磯源』は、地元の人に愛される店だ。堀さんとは家族ぐるみの付き合いで、カウンターの一番奥の席が堀さんの指定席。

10年前に新築した自宅は、リビングの奥に階段を作り、子どもたちがリビングを通って自分の部屋に行くレイアウトにこだわった。
「子どもの顔を見るとその子の調子がわかるんです。現役時代は遠征が多かったので、助かりました」

店主の佐藤信一郎さんいわく「酒の肴がうまい店」。京急線大森海岸駅から徒歩2分、表通りより一本裏手に店を構える。

子どもがいない時間帯の楽しみは、やはり釣り。自室で釣りの専門チャンネルを見続け、イメージトレーニングに励んでいるという。
解説者としては新米。だが、23年間の現役生活で多くの監督やコーチの指導法、考え方に触れてきた堀さんの、経験に裏打ちされた多角的な解説はとても好評だ。
「選手と違って解説者は全体を見ないといけないので、難しいですね。シーズンを頑張ったら、オフは思い切り釣りをしたい。今年こそ60㎝のメジナを狙いますよ」

堀 幸一 (ほり こういち)

1969年長崎県生まれ、長崎海星高校出身。1988年ドラフト3位でロッテオリオンズ(当時)入団、1991年には20本塁打、4番打者としてチームの中心選手となる。2003年に22本塁打、78打点の自己記録を更新。2005年には9年ぶりに打率3割をマークして、31年ぶりの優勝・日本一に貢献した。2008年に2000試合出場達成。通算1827安打。2010年に引退するまで、ロッテ一筋23年間の現役を続けた。現在は野球解説者として活躍。

樹齢2000年のご神木が見守り続ける熱海の来宮神社の清浄な気に包まれる 音楽評論家・作詞家湯川れい子さん

静かで清らかな熱海を選んで

ご近所には仲良しのお友達も多いそう。「今日は、石井幹子さんとお食事するのよ」とうれしそうな湯川さん。日々の疲れを癒してくれるのは、いい空気に温泉、おいしい食事、そして親友とのおしゃべりタイム。

JR熱海駅から賑やかな温泉街を抜け、車で約5分。線路をくぐるトンネルを抜けると、明らかに辺りの空気感が変わった。
ここ熱海の地主の神である来宮神社は、来福・縁起の神様として古くから信仰され、地元の人びとはもとより、多くの旅行者も参拝する。
昨今、国内でも屈指のパワースポットとして話題を呼び、人気を集めているが、「ここに決めたのは本当に偶然なの」と語るのは、音楽評論家で作詞家の湯川れい子さん。
東京から新幹線を利用すれば1時間もかからない熱海へ、静かな仕事場を求めてやって来た。熱海は海岸線が大きな入江になって広がり、そのため海は穏やか、2月でも早咲きの熱海桜が咲くほど、気候も温暖だ。周囲の山に守られた地形で台風の被害にも遭わず、今まで津波も一度もないという、何とも心も体も安らぐ土地なのだ。

うっそうとした緑に覆われる本殿。御祭神が鎮座したとき、神前に「麦こがし」をお供えしたことから、7月の例大祭は「こがし祭」とも呼ばれている。

「ここへ来るとスイッチが切り替わるの。静かで、ぐっすりとよく眠れるのよ」と微笑む湯川さん。仕事部屋のすぐ近くの来宮神社を知ったのはこの地に住んでから。「来宮神社へはほんの数分。熱海にいるときは毎日お詣りします」

大楠のパワーにあやかって

本殿横の木には、ご利益にあやかろうとおみくじがぎっしり。

とにかく気がいい、と言う来宮神社で、特にお気に入りなのは、国指定天然記念物のご神木の大楠。樹齢が2000年以上で、高さが約25m、周囲が約24m。まさにご神体ともいうべき神々しいお姿の巨木だ。江戸末期まで「木宮明神」といわれ、神様の降臨した聖なる木として崇められていた。長い年月に耐え、衰えるどころか、ますます強く根を張る生命力に不老長寿、心願成就を願い、人びとは手を合わせる。お詣りすると清浄な気に包まれ心が澄んでくるようだ。
熱海ライフを満喫する湯川さんだが、公園に隣接するという東京のご自宅でも、緑や花を取り入れた暮らしを楽しんでいる。天井が高く、大きな窓からはたっぷりの日差しが入り、ベランダでストレチアなどの植物を育てたり、どこよりも早くソーラーパネルを設置するなど、自然の恵みをいっぱいに受けて暮らしている。

境内にあるおやすみ処。「お詣りすると必ず寄ります。桜エビかきあげうどん(500円)がおすすめよ!」と語る湯川さん。

オンとオフを上手に切り替えている湯川さん、最近のイチオシ・アーチストは?との問いに、ズバリ「ル・ヴェルヴェッツよ」とにっこり。全員音楽大学出身のテノール3人、バリトン2人の男声ボーカルグループで、実力とビジュアルを備えた彼らに注目し、応援している。湯川さんはこれからも独自の感性で、新しい音楽シーンを紹介し続けてくれるに違いない。

湯川 れい子 (ゆかわ れいこ)

東京都目黒区生まれ。1960年にジャズ専門誌『スイング・ジャーナル』へ投稿しジャズ評論家としてデビュー。72年からアメリカのヒットチャート番組「全米TOP40」のDJを始め、以来、エルヴィス・プレスリーやビートルズをいち早く日本に紹介するなど、国内外のポップスを広く評論・解説を手がける。また、作詞家としても活躍。数々のヒット作を生み出し続けている。

  • 連載「住まいとお金」ファイナンシャルプランナー 久谷真理子
  • わが家の建てどきガイド
  • 資金計画タイプ別診断 あなたの資金の傾向をタイプ別で診断!

PAGE TOP