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「お帰りなさい」と迎えてくれる目黒のライブハウス  サックス奏者小林香織さん

実験的ステージを展開

BLUES ALLEY JAPANは広さもちょうどよくて、リビングパーティを開いているような感覚です」と小林さん。

サックス奏者の小林香織さんがデビュー当初から出演している、東京・目黒の 「BLUES ALLEY JAPAN」。これまでに、最も多くのステージをこなしてきたこのライブハウスが、小林さんの「好きな場所」だ。
「まさに、私のホームグラウンドと呼べるライブハウス。2011年夏からマンスリーで出演するようになり、思い入れがますます強くなっています。前列に常連のファンの方々の顔があって『お帰りなさい』って迎えてくれる、私にとって特別な場所なんです」
BLUES ALLEY JAPANのステージでは、毎回、小林さんが会いたいゲストを迎えて実験的なセッションを繰り広げている。たとえば、津軽三味線奏者の浅野祥さんと百人一首の歌のセッションにトライしたのは、刺激的で楽しい思い出のひとつだという。

アルバムリリース記念ライブでは、レコーディングに携わった全てのミュージシャンが集結し豪華なステージとなった。

「ギターを三味線にしてみたら?という発想で、百人一首の独特の読み上げ調子をサックスと津軽三味線で演奏してみて大成功!私の思いつきを形にさせてくれるBLUES ALLEY JAPANのステージは本当に大切なんです」。

初めてセルフプロデュースを手がけたアルバム『SEVENth』 (ビクターエンタテインメント)には、三味線奏者の浅野祥さんをフィーチャーした曲も。

目黒という街自体も好き。2012年2月にリリースされたアルバム『SEVENth』には、お気に入りのバー"WAVE"をイメージした曲『Bar Wave』が収められている。「目黒には友人と食事のために集まることも多くて、公私ともども、お世話になっています(笑)」

リビングテーブルが定位置

BLUES ALLEY JAPAN
1990年オープン。杮落としのステージをマイルス・デイビスが踏んだ伝説のライブレストラン。
住所:東京都目黒区目黒1-3-14ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F
電話:03-5496-4381

自宅ではほとんどの時間を、リビングで過ごすという小林さん。 「作曲をするのも食事をするのも、すべてリビングテーブル。作曲中にキーボードを横にずらして食事をすることもあるんですよ」
小さなころから宿題や受験勉強をするのも、リビングテーブルだった。家族が団欒したりテレビを見ていても集中できたという。「そのころからの影響で、今でもリビングルームに居ることが好きなんだと思います」
彼女は、アジアを中心とした海外でも人気。きっかけとなったネット配信の映像は、なんと475万回の閲覧数を記録するも、2011年の震災を経験し、日本での活動を大切にしている。
「音楽には人の気持ちを変える力があると思うんです。辛い思いをされた方々が〝楽しい〟と感じるスイッチを押せるように、今までにも増してパワフルでテンションの高い音楽を届けていきたいと思っています」

小林香織 (こばやし かおり)

1981年神奈川県生まれ。0歳からピアノをはじめ、中学の吹奏学部ではフルートを担当。高校時代にサックス演奏をはじめ、2000年、洗足学園音楽大学ジャズ科に入学。2005年、アルバム『Solar』でデビュー。以来、 毎年1枚のペースでアルバムを発表。2014年5月に9枚目のアルバムとなる『SPIRIT』をリリース。台湾でYouTubeにアップされた映像が475万回再生をオーバー。アジアでも高い人気を誇っている。

新築の際に最優先した、日当たりのよい広い庭 プロゴルファー・ゴルフ解説者金子柱憲さん

敷地の半分以上を庭に

「世界中で自宅が一番くつろげる」と金子さん。金子さんが背にするリビングの大きな窓からは、庭が一望できる。東京生まれだが、横浜が気に入って、この家に住む前にも10年間、同じ街のマンションで暮らしていた。

プロゴルファーの金子柱憲さんが「好きな場所」に選んだのは、6年前に建てた横浜のとある住宅街にあるご自宅。新築の際に一番こだわったのは、 「四角くて広い庭を作る」ことだった。 「ずっと前から、子どもが生まれたら広い庭のある一軒家に住もうと決めていたんです。念願かなって、この家の敷地の半分以上を庭にできました。とにかく広さがほしいから四角にして、余分なものは一切置いていません。南向きで日当たりも十分。走り回ったり寝転んだりゴルフの練習をしたり、自由に使っています」 ご自宅に伺ったのが春休み中ということもあり、庭では中1の息子さんがゴルフの自主練習中。「小学校ではサッカーをやっていて、地区の代表にもなったのだけど、中学になったらゴルフ部に入るって言って、練習しているんですよ」と、道具を手入れする息子さんをうれしそうに眺める金子さん。スイングを教えたり、一緒にコースを回ることもあるそうだ。

家族が互いに思いやれる家

家の中で唯一、力を入れたトレーニング室。体中の筋肉を細かく鍛える機器がずらりと並ぶ、プライベートスペースだ。「2日に1回、数時間は体を鍛える時間を作ります」

庭にこだわったのには、わけがある。中2からゴルフ漬けの毎日を送っていた金子さん。厳しい父親のつきっきりの指導のおかげでプロゴルファーとして成功したが、一方では、一家の期待を背負い、学校から帰ったらすぐに練習をする日々のなかで、ほのぼのとした家の団らんに憧れていたという。そんな金子さんが家を新築する際に真っ先に思い浮かんだのが、アメリカのホームドラマに出てくるような、広い広い庭だった。

玄関を入って、まずたどり着くのが広くて明るいリビング。奥さまの意見で、リビングの奥に階段を設け、子どもが2階にある自室に行くためには、必ずこのリビングを通るようなつくりにした。

「家族で庭で遊んだり、友人たちが集って僕の手料理を食べるシーンをイメージしました。僕は庭のことばかりで、家の設計はほとんど妻任せでした。妻が『子どもの居場所がわかる家にしたい』と、子どもが必ずリビングを通って自分の部屋に行くようなつくりにしてくれたんです。これは、本当によかった。リビングからもキッチンからも庭が見渡せて、家族がお互いの存在を常に確認し合いながら、思いやれる家にできました」

今年は金子さんにとって挑戦の年。4月からは早稲田大学大学院スポーツ科学研究科でスポーツマネジメントを学び、プロゴルフのシニア・ツアーも7月にスタート。現在よりも家で過ごす時間は減るが、「世界中のどこよりも家が好きだから、真っすぐ帰ってきますよ。そうそう、家の居心地がよくて、滅多に外に飲みにいかなくなりました。まったく、と言ったらウソになりますけどね(笑)」

金子柱憲 (かねこ よしのり)

1961年、東京都生まれ。14歳からゴルフを始め、22歳でプロに転向。 6回の優勝経験を持ち、1997年にはマスターズ・ゴルフ・トーナメン ト、全英オープン、全米プロゴルフ選手権に出場。 4月からは早稲田大学大学院の平田竹男研究室に入り、スポーツマネジメント学を学ぶ。 また7月からはシニア・ツアーに初参戦する。自宅にワインセラーを持つほどのワイン好きで、料理は食べるのも作るのも大好きという食通。

サントリーホールは私のパワースポット 歌手・女優姿月あさとさん

大舞台で歌う夢が叶った喜び

「サントリーホールには独特のオーラがあり、ここで聴く音楽の響きが大好き」と姿月さん。

東京都港区にあるサントリーホールは、日本のクラシック音楽の殿堂だ。その大舞台でいつか歌うのが夢だったという姿月あさとさん。想いが叶ったのは2006年。作曲家の三枝成彰氏のプロデュースを得て、シンフォニック・コンサートを3年連続で開催することができたのだ。フルオーケストラを従えてオペラのアリアを歌うのは、元宝塚歌劇団の男役トップスターだった姿月さんにとって新たな挑戦だった。
「一から必死で発声の勉強をして、オペラの歌唱法をトレーニングしました。マイクをつけずに歌い上げた自分の声がオーケストラと融け合い、ホールに響き渡ったときの感動は今も忘れられません」

大ホールは全2006席が葡萄の段々畑状になったヴィンヤード形式。音楽の響きは太陽の光のようにすべての席に降り注ぐ。壁面にはウイスキーの貯蔵樽に用いるホワイトオーク材が使われている。

プライベートでもサントリーホールに足を運ぶことは多い。
「仕事柄、普段は機械を通した音を聴いているので、たまに好きなクラシック音楽を生の音で聴いて、自分の耳をリフレッシュしたくなるんです。ふと思い立って当日券で聴くこともありますよ」
姿月さんにとってサントリーホールは気力がみなぎるパワースポットであり、心をほぐしてくれるエステのような存在でもある。

不必要なモノを持たない暮らし

アークヒルズの一角にあるサントリーホールの壮麗な外観。

華やかな雰囲気をまとう姿月さんだが、お住まいはいたって簡素。家具は最低限のものだけを備え、調度品も飾らない。 「1995年の阪神淡路大震災のとき、宝塚のマンションで被害に遭い、部屋がグシャグシャになりました。モノが倒れるというよりも飛んでくるのが恐ろしくて。それ以来、家財に対する価値観が変わって、高価な食器でもしまっておかずに普段に使い、必要ないものは一切持たなくなりました」

すっきりとシンプルなリビングでキャンドルを灯し、アロマを炊いて、静かにお酒を楽しむ夜のひとときが好きだという姿月さん。ただし、飲んだ後でもグラスは洗ってピカピカに磨いておかないと気が済まない。
「実は私、自分でもあきれるほどのきれい好きなんです。掃除機をかけた後は、掃除機自体も洗うほど。毎日、一休さんのようにタタタッと床の雑巾掛けをしますし、窓も磨き上げます。お風呂に入っても、浴室を洗う時間の方が長いくらい。だから家にいるとかえって疲れるんですよ(笑)」
衣食住にわたって無駄なものをなくし、きちんとした暮らしをして日々を丁寧に過ごしていきたいという姿月さん。その生き方に凜とした美しさを感じた。

姿月あさと (しづき あさと)

1970年大阪生まれ。1987年宝塚歌劇団に入団。1998年3月「宙組」の初代トップスターに抜擢される。2000年5月宝塚歌劇団を退団。同年6月よりソロボーカリストとして新たに出発。以降、抜群の歌唱力を生かし、多数のコンサート、ライブに出演。

これからの人生に勇気をくれた、愛宕神社 タレント新田恵利さん

都会のパワースポット

取材の当日には、ほおづき縁日が行われていた。「ほおづき市は3~4年ぶりです。この時期は緑が多くて、特に気持ちがいいですね」と、アイドル時代と印象の変わらない愛くるしい笑顔で語る新田恵利さん。

40歳少し手前の時。この先、人間として女性としてどう生きるか、思い悩んだという新田恵利さん。
「『女が終わっちゃう!』って思い込んでいたんです。今から思えば変な焦りだったんですが、当時は本当にどうしたらいいのか...」
悩みの答えを探すため日本全国の神社を訪ね歩き、たどり着いたのが東京・港区の愛宕神社。
「都会の真ん中なのに、階段を上れば別世界で、とても神秘的でした。偶然にもほとんど人影がなく、静かな気持ちで自分を見つめなおすうちに、答えは出ていないのですけれど、もやっとした気持ちがすっかり晴れていたんです」

『出世の石段』と言われる男坂。かなり急な階段だが、年齢を問わず、参拝者の多くがこの階段を上ってくる。新田さんももちろん、階段から現れた。

一時期は都内に出るたびに通い、実家のある埼玉の友人と落ち合うのも、愛宕神社だった。
「たとえ10分程度のお参りでも、心がすーっと澄んでくる。まさに私にとってのパワースポットです。この神社をお詣りするとき、『男坂』は欠かせません。別名『出世の石段』と言われる急な階段で、上から見下ろすと足がすくむほど。毎回、途中で後悔するんですが、その分、上りきったときの達成感は格別! オススメです」

いつかは自分の手で家を建てたい

鳥居の前には、夏の風物詩・茅の輪が飾られていた。

湘南のご自宅を建てたのは2000年。家への憧れが強く、「見た目重視」で建てたところ、「使いづらいなぁ」と思うように。そこで6年前に思い切ってリフォーム。新しい工法によって柱が取り払われ、約20畳の広々としたリビングルームを手に入れた。居心地の良さを求めてその後も脱衣所、シューズボックスとリフォーム。

「脱衣所はデザイン画を自分で描いて、理想の蛇口がなかったから、自分でネットで探したんです」
そんな新田さんの自宅でのお気に入りの場所は、3階部分の東南にあるベランダだ。
「夏の夜はお風呂上りに涼んだり、冬なら流星群を見たり。一人きりで頭の中を整理する時間が持てて、すごく癒される場所です。ただ、家で一番日当たりが良い場所で、ベランダにしておくのはもったいない気もしてきたので、西側へのリフォームを検討中です」

亡くなったお父さんは大工さんだった。ものづくりの血を継いだ新田さんも最近、「自分で家を建てたい」と思うように。
「北アルプスの景色に憧れているから場所は安曇野。玄関ホールが広くて、お友だちをそこでおもてなしできるような家を思い描いています。でも主人が安曇野から会社に通ってくれるかなぁ。それが一番の問題ですね(笑)」

新田恵利 (にった えり)

1968年埼玉県生まれ。伝説のテレビ番組「夕焼けニャンニャン」(フジ系)発のアイドルグループ「おニャン子クラブ」会員番号4番としてデビューを果たし、ソロ・シングル「冬のオペラグラス」も大ヒット。おニャン子クラブ解散後は、タレントとして活躍。「ありがとッ!」(テレビ神奈川)水曜日にレギュラー出演。趣味のものづくりの知識を生かし、「新田恵利の作るの大好き!!」コーナーを担当する。趣味は手芸、旅行など。「デコアーティスト技能検定」1級取得。インストラクターの資格を有する。

北海道の大自然に佇むログハウスの書斎 作家・動物学者畑正憲さん

フィンランドから丸太を輸入

書斎の南面の窓の外は梨や林檎の木が立ち並ぶ。今は一面の銀世界だが、春には花のトンネルになり、秋には実をつける。ここから眺める夕焼けの美しさは格別で、夕陽が雄大に沈む。

北海道・中標津町の「ムツ牧場」に建つ畑正憲さんの住まいは、赤味を帯びた丸太が深い味わいを醸し出す築32年のログハウス。
「当時、よく北欧を訪れていて、フィンランドで泊まった宿がログハウスだったのです。すごく気に入って、丸太はもちろん、建具や家具も欧州アカマツ材でオーダーして輸入しました。ヘルシンキからはるばるシベリア鉄道経由で苫小牧の港まで運ばれてきたんですよ。新築の頃は白木でしたが、年月を経て、ほら、こんなにいい飴色になりました」と微笑む。

牧場は70万㎡にも及ぶ広大な敷地で、数十頭の馬が草をはみ、野鳥やエゾモモンガなどさまざまな野生動物が棲息する。キタキツネがやってくると愛犬たちが騒ぎ始めるので、すぐにわかるそうだ。

真っ赤に染まる夕暮れが好き

デスクの後ろに飾られたユーカリの木の絵はブラジルで出会った一枚。忘れられないエピソードが秘められていた。

畑さんが最も長く過ごすのが南側にある書斎。続きに膨大な蔵書を収めた書庫もある。執筆に熱中し、気がつくと丸一日経っていることも珍しくない。この部屋から『人という動物と分かりあう』『ムツゴロウの動物交際術』など、多くの名著が生まれた。そんな畑さんの姿を見守るかのように、デスクの背後の壁にはユーカリの木を描いた大きな絵が飾られている。
「ブラジルのリオグランデという町の古いゴルフクラブを訪れたとき、壁にかかっていた絵です。僕が見とれていると、白髪の大男が『お前、買わないかい?』と声をかけてきました。絵を描いた本人だったんです。値段を聞くと、1000ドルでいいという。後から彼はグレウスという名の知れた画家だとわかりました。眺めているとブラジルの空気が伝わってくるようで、この絵だけは手放さずにずっと大切にしています」

「旅行に行くとトランク1個分の本を買ってくるから、書庫の本は増えるばかりです」と目を細める畑さん。

書斎の窓の外には300本以上もの梨と林檎の木が育っている。今は一面の雪景色だが、北国の遅い春を迎えると、ピンクや白の花が咲き誇り、まるで桃源郷のよう。そして秋にはたわわに果実がみのり、人間だけでなく、小鳥や動物たちのご馳走となる。
「窓から広がる夕暮れの景色が大好きなんです。火事になったかと思うくらい真っ赤な夕焼けが広がって、溜息が出る美しさです」
物音ひとつしない静かな大自然の中で、時間を忘れて心おきなく読書にふけり、ときに絵筆を握る。世界を旅してまわり、仕事で東京に滞在することも多い畑さんにとって、木の温もりに包まれた書斎は、自分に還ってホッとするかけがえのない場所なのだろう。

畑正憲 (はた まさのり)

1935年福岡市生まれ。東京大学理学部卒業後、学研映画に入社し、記録映画の制作に携わる。その後、作家として著作活動に従事する一方、1972年に北海道に動物王国を建国。1980年より21年間にわたって放映された「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」により、「ムツゴロウ」の愛称で人気を博す。1968年に『われら動物みな兄弟』で日本エッセイスト・クラブ賞、1977年に第25回菊池寛賞、2011年に第1回日本動物学会教育賞を受賞。

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