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あなたはビターチョコ派? ミルクチョコ派?好みに合わせて選べる幸せ

甘いチョコレートの意外な歴史

2月14日はバレンタインデー。日本では、女性が男性に甘いチョコレートを贈る日とされています。もっとも、最近は友人同士でチョコレートを交換したり、自分で食べたりと、チョコレートを楽しむ日になっている感もありますね。ところでこのチョコレート、元々は苦い飲み物だったのをご存知ですか?苦い飲み物がどうして甘いお菓子になったのか、その歴史を探ります。

貴重で苦かったカカオ飲料

チョコレートは、現在のメキシコから中央アメリカに渡る地域で生まれました。かつてこの地域では、マヤ・アステカなど独自の高度な文明が繁栄しました。
アステカ王国では、カカオは儀式の供物・薬・交易品・貨幣・飲み物として等々、様々な場面で重要な役割を果たしていました。
このうち飲み物としてのカカオは、種子の中身をすりつぶし、苦みや脂肪分を和らげるためにトウモロコシ粉や唐辛子を加え、赤い色味をつけるためにベニノキなどを混ぜたもの。最後に水とあわせてかき混ぜ、泡立てたものを飲みました。
カカオは貴重品であったため、宴会などの特別な席で、特権階級しか飲むことができませんでした。ただし、戦闘意欲を高揚させるという理由から、戦士も飲むことが許されました。カカオに含まれるテオブロミンには、集中力や思考力のアップ、リラックス効果、カフェインと似た覚醒効果があるといわれています。現代も眠気覚ましや疲労回復を兼ねて、チョコレートを食べたりしますね。

技術の進歩が生んだ固形チョコレート

苦くて特別な飲み物だったカカオ飲料が、庶民にも手の届く甘い飲み物になったのは、16世紀にアステカ王国がスペインの植民地になってから。それまでのカカオはクリオロ種が主でしたが、スペイン征服後は生産量が多く比較的安価なフォラステロ種が広まりました。また、ヨーロッパ各国が中南米でサトウキビ栽培を始め、砂糖が料理や菓子に使われるようになり、さらにカリブ海諸島で大規模なプランテーションが始まりました。こうした影響で、甘くて熱い飲物としてのチョコレートが生まれたのです。
苦いにしろ甘いにしろ、チョコレートは長く飲み物として愛されてきました。しかし、脂肪分が多く濃厚なため、そのままで飲みにくいものでした。
ところが、19世紀にカカオ液から脂肪分を抽出する技術が確立し、脂肪分を減らして粉末にしたココアパウダーと、お湯と砂糖で、手軽に飲みやすいチョコレートを作れるようになりました。

さらに、お湯の代わりに抽出された脂肪分を加えると、常温では固体になり、口の中では体温で溶けることが発見されました。こうして固形のチョコレートが誕生し、飲み物のチョコレートはココアと呼ばれるようになったのです。
その後も様々な改良と工夫が加えられ、私たちは今のように、様々なチョコレートを楽しめるようになりました。

「ハレ」の食事としての麺類 そばもうどんも年末年始にふさわしい縁起物

年越しはそば派? うどん派?

年越しといえば「そば」ですが、そばよりも「うどん」に馴染みの深い地域や家庭では、年越しにうどんを食べるという人も多いそうですね。2009年正月からは、さぬきうどん振興協議会が「年越しそば」に対して「年明けうどん」を提唱しています。日本人に馴染みの深い麺類、「そば」と「うどん」について、歴史や特徴などをご紹介します。

昔の「そば」は麺類ではなかった

「そば」の原料である植物のソバは、縄文時代草創期の遺跡で発見されており、その頃から食されていたと考えられます。奈良時代には救荒作物として栽培が奨励されましたが、ソバは殻が固く、当時の日本は製粉技術が遅れていたため、あまり広まらなかったようです。食べ方も、粒のままお粥などにしていたと考えられています。ところが鎌倉時代になると、宋より伝来した石臼と製粉技術が広まり、そば粉を湯でこねて餅状にした「そばがき」や、そば粉を水で溶いて焼く「そば焼き」などが登場しました。やがて室町時代になると、そば粉と水をこねた生地をのばして細く切る、麺の「そば切り」が誕生したと推測されています。「そば切り」も、当初はせいろで蒸し、味噌ダレで食べるなど、現代の「そば」とは違っていました。生地に"つなぎ"を使うことで茹でるようになり、醤油ベースのそばつゆで食べるようになったのは、江戸時代中頃といわれています。

うどんもそばもキーになるのは製粉技術

うどんの原料は小麦ですが、古代日本では比較的簡単に粒のまま食べられる大麦の方がメジャーでした。うどんの原型を遣唐使が伝えた唐菓子(索餅、餛飩、餺飥など)に求める説がありますが、食していたのは貴族など一部の人達で、その形も現在のような長い麺ではなかったようです。鎌倉時代に製粉技術が進歩・普及した影響で、室町時代に麺のうどんが誕生・普及し、江戸時代中頃に醤油つゆで食べるようになったと考えられ、経緯がそばと似ていますね。そばもうどんも、原料を粉にする技術が必要で、手間もかかるので、主食である米の代用食という面とともに、特別な時に食べる「ハレ」の食事という面を持っていました。年末年始にそばやうどんを食べるのも、そのためと思われます。

「細く長く」か、「太く長く」か?

 年越しそばのいわれは、「そばのように細く長く、延命長寿」「そばは切れやすいので、一年の災厄を断ち切る」「金銀細工師がそば団子で散らかった金粉を集めたように、お金が集まる」等々、諸説あります。一方、うどんも「うどんのように太く長く」、健康長寿や家運長命のゲン担ぎとして食べられてきました。最近提唱された年明けうどんは、白いうどんに紅色(赤色)の具をトッピングし、おめでたい紅白にして縁起をかつぐものです。食べ方や具、タイミングなどは、千差万別で "正解"があるわけではありません。年越し・年明けは、自分らしくハレの麺類を楽しみたいですね。

クリスマスへのカウントダウン わくわく感を演出するアドベント行事

クリスマスの準備はいつから始める?

世間は徐々にクリスマスの準備へと動き出します。
まだ11月なのに気が早いと思う方も多いと思いますが、では、本来はいつからクリスマスの準備を始めるものなのでしょうか?
今回は、クリスマス(降誕日)を迎えるための準備期間「アドベント(待降節)」についてご紹介します。

1カ月以上続くクリスマスシーズン

ご存知の通り、クリスマスはキリスト教の開祖である、イエス・キリストの誕生(降誕)を祝う日です。キリスト教があまり浸透していない日本では、クリスマス当日やイブばかりが注目されがちですが、本来はクリスマスの前後にも様々な宗教行事があります。
「アドベント(Advent)」とは「出現、降臨」を意味し、イエス・キリストの降誕を待ち望む期間、つまりはクリスマスの準備期間を意味します。厳密には宗派によって違いますが、日本語では「待降節」と表現されることが多いようです。
クリスマスの4回前の日曜日から始まり、クリスマスイブまで続きます。2017年は、12月2日が開始日(第一主日)です。
クリスマスの後には、1月6日頃に、東方の三博士によって幼子イエスが見いだされた(公に現れた)ことを祝う「公現祭」があります。
公現祭をクリスマスとして祝うところもあります。クリスマスから公現祭までを「降誕節」といい、待降節と降誕節をあわせた期間が、正式なクリスマスシーズンなのだそうです。

クリスマスが近づいてくるのを楽しみながら待てるアドベント

アドベントでは、クリスマスを指折り数えるような習慣があります。
代表的なものが「アドベントキャンドル」。4本のキャンドルを立て、日曜日ごとに1本ずつ火を灯し、クリスマスの訪れを待ちます。常緑樹の葉を丸くまとめて美しく装飾した「アドベントリース」や「アドベントクランツ」にキャンドルを立てることが多いようです。

週ごとでなく日ごとにクリスマスまでのカウントダウンをできるのが「アドベントカレンダー」。1日ごとに窓やポケットがついていて、その日の窓やポケットを開けるとお菓子や小さなプレゼントが入っています。

ドイツの伝統的な菓子パン「シュトレン」には、アドベントの間に少しずつスライスして食べるという習慣があります。時間が経ってクリスマスに近づくほど、ドライフルーツやナッツが生地になじんで、味に深みが出るのだそうです。
クリスマスを楽しく待つアドベントの行事を、今年は試してみませんか?

子どものおねだりには勝てない!? 秋の収穫を祝う「中秋の名月」と「ハロウィン」

中秋の名月とハロウィンの意外な関連性

10月の季節の行事と言われて、何を思い浮かべますか? いろいろあると思いますが、「中秋の名月」や「ハロウィン」を挙げる人も多いのではないかと思います。片や日本古来の風流な祭事、片や近年定着した欧米由来のイベントと、まったく趣が違いますが、意外な類似点があるのをご存知ですか? そんな二つの行事の意外な関連性をご紹介します。

日本版ハロウィン!? 「お月見どろぼう」

日本に定着したハロウィンといえば、かぼちゃの飾り物をし、おばけの仮装をして、子どもたちが「トリック・オア・トリート(お菓子をくれないと、いたずらするぞ)」と言いながら近所を回るというもの。
一方の中秋の名月といえば、ススキを飾り、お団子を備え、月を眺めるというものです。ところがこのお月見には、地方によって「お月見どろぼう」という風習が付随しているのです。
お月見泥棒とは、この日に限って、お供え物を近所の子どもが盗んでもよいとするもの。子どもたちは月の使者と考えられ、かえって縁起が良いとして歓迎されました。昔は、長い棒の先に釘や針金を付けてお団子を盗むので、わざわざ盗みやすい位置にお供えをしていたのだとか。今は、声をかけてお供えをもらうという形で残っているそうです。

中秋の名月のお月見もハロウィンも収穫祭としての側面が

そもそもハロウィンは古代ケルト人のお祭りで、秋の収穫祭であり、かつ悪霊を祓う宗教的な行事でした。
実は中秋の名月も、当初は上流社会が月を愛でながら宴を催す風雅な行事でしたが、庶民へ広がるうちに作物の収穫祭と結び付きました。
昔は月の満ち欠けによって月日を知り、農事を行っていたので、月は豊穣の象徴でした。中秋の名月のころは空が澄んで美しい月が眺められるとともに、芋類の収穫後にあたるため、芋をはじめとした畑作物の収穫祭としての側面が加わったようです。芋類をお供えする地方もあり、中秋の名月を別名「芋名月」と呼んだりもします。

近年とみに盛り上がりを見せるハロウィンですが、中には「元々日本には関係ない行事なのに」と違和感がある人もいるかもしれません。しかし、由来や日本の風習との意外な共通点に目を向ければ、あながち不思議なことではないのかもしれませんね。

目に美しく、香りさわやか 心も体も癒す「菊」の節句

なぜか影の薄い五節句のラスト「重陽の節句」

3月3日はひな祭り、5月5日はこどもの日、7月7日は七夕...。月と日で同じ奇数を重ねた日は伝統行事が多いですが、9月9日は何の日かご存知ですか? 答えは「重陽の節句」。今ではあまりなじみのない行事ですが、江戸時代には五節句のひとつに定められ、またその締めくくりの節句として最も盛大だったといわれています。そんな重陽の節句についてご紹介します。

「陽」の数の極みが重なる「9月9日」

そもそも節句とは、季節の変わり目に、無病息災・豊漁豊作・子孫繁栄などを願い、お供え物や邪気払いをする行事をいい、「節供」とも書きました。五節句は、宮中行事として伝わっていた節会を、江戸時代に式日(現代の祝日)として定めたもの。
1月7日が人日の節句(別名:七草の節句)、3月3日が上巳の節句(別名:桃の節句)、5月5日が端午の節句(別名:菖蒲の節句)、7月7日が七夕の節句(別名:笹の節句)、そして9月9日が重陽の節句(別名:菊の節句)です。
古来、奇数は「陽」を表す縁起の良い数字と考えられ、最も大きい陽数である「9」が重なる日を「重陽」の節句とし、不老長寿や繁栄を願う行事が行われてきました。

鑑賞するだけじゃない!いろいろな方法で楽しめる「菊」

ひな祭りを象徴する植物が桃であるように、重陽の節句を象徴するのは「菊」。菊は昔から薬草として知られ、虫よけの効果もあり、邪気を払い、延命長寿をもたらす力があると信じられてきました。そこで9月9日の重陽の節句では、菊を用いた様々な厄祓いや長寿祈願の行事が行われていたのです。
まず第一は、菊の花を観賞することでしょう。9月9日に菊の花というとちょっと早い気がしますが、旧暦9月9日は新暦の10月半ば頃にあたるので、ちょうど盛りを迎える頃。「菊合わせ」という、現代の菊のコンクールや、菊を題材とした歌合せなどが行われました。
菊の持つ力を直接体内に取り込もうというのが「菊酒」。菊酒は本来、菊を漬け込んで作りますが、お酒に菊の花びらを浮かべるだけでも十分でしょう。また被せ綿といって、前日に菊の花に綿をかぶせ、翌朝、菊の露や香りを含んだ綿で身体を清めると、長生きできるという宮中行事もありました。ほかには、湯船に菊を浮かべる菊湯、菊を詰めた菊枕などといった風習もあります。
今は、栽培技術の進歩により開花時期を調整でき、また一口に「菊」といっても多種多様な花があります。新暦9月9日でも十分菊を愛でられます。食用菊も年中出回っていますし、カモミールなどキク科のハーブやアロマオイルを応用すれば、ご紹介した各種の風習も手軽に雰囲気を味わえそうです。ぜひご自分なりの「重陽の節句」を楽しんでください。

  • 連載「住まいとお金」ファイナンシャルプランナー 久谷真理子
  • わが家の建てどきガイド
  • 資金計画タイプ別診断 あなたの資金の傾向をタイプ別で診断!

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