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涼しげな金魚の泳ぐ姿を見て、夏の暑さを乗り切ろう

涼を誘う金魚

暑い夏を涼しく過ごす知恵はいろいろありますが、金魚もまた夏の風物詩。優雅に泳ぐ姿が涼しげで、夏祭りの金魚すくいも定番です。ただ、長生きさせるのは難しい印象がありますね。せっかく飼うのなら、できるだけ長く一緒に過ごしたいもの。金魚を育てるコツや、飼育されるようになった歴史などを紹介します。

美しく縁起の良い魚として

金魚の起源ははっきりしませんが、3〜4世紀頃の中国南部で赤色のフナが発見されたという記録があり、そのような突然変異のフナが金魚の祖先だと考えられています。美しさは元より福や富を招く魚として珍重され、飼育されるようになり、品種改良も盛んに行われました。
金魚が日本に渡来したのは室町時代中期と考えられていますが、飼育が広まったのは江戸時代初期、大名や富裕層などの贅沢品として受け入れられました。やがて江戸時代中期になると、商人・町人が力をつけ、また武士が副業として金魚養殖を行ったことから、庶民にも金魚文化が広がりました。

ガラスの器が金魚ブームを後押し

このように、金魚は古くから鑑賞されてきたわけですが、昔はガラスの水槽などありませんでした。最初は池で、次は焼き物や木の器で飼われていたため、金魚は上から見るものであり、品種改良も「上見」を前提になされてきました。
ところが、江戸時代中期にガラス製造技術が輸入され、ガラス製の「金魚玉」が誕生しました。上見だけではなくさまざまな角度から金魚を鑑賞でき、また透明なガラス自体も美しく、インテリアとしての魅力が増したのです。

金魚を長く飼うには

金魚とともに見る人の心を魅了する金魚鉢ですが、当の金魚にとってはあまり良い環境ではないようです。金魚鉢は水量や酸素量が少なく、水も汚れやすいからです。
金魚の健康を第一に考えるなら、大きな水槽で水質を保つ装置を完備するのがベストです。それが無理、あるいはやっぱり金魚鉢で飼いたいという場合は、できるだけ大きなものを選び、こまめに水を替えましょう。水を入れる際には、塩素中和剤などでカルキを抜き、水質調整剤も入れるとよいでしょう。金魚を金魚鉢に入れる時は、金魚が元々入っていた水と金魚鉢の水を少しずつ入れ替え、温度差を少なくしてあげるのがポイントです。

金魚の数もできるだけ抑えて、餌のやりすぎにも注意しましょう。光合成で酸素を供給する水草は、中央に配置すると金魚が周回するように泳げるのでベターです。
涼しげな金魚に楽しませてもらう分、飼うほうも金魚の快適さに気をつけたいものですね。

天の川を見るなら、やはり夏。星明りが頼りの静かな場所で

七夕以外でも楽しめる天の川

七夕伝説に出てくる「天の川」。普段は星に興味がない人も、この日ばかりは夜空を仰ぐのではないでしょうか?そして、あいにくの梅雨空にがっかりするのではないでしょうか・・・。 しかし、天の川が見えるのはなにも七夕だけではありません。いつどこでなら見られるのか、意外と知らない天の川について紹介します。

天の川の正体とは

天の川とは何かを一言でいえば、「天の川銀河を地球から見た姿」です。銀河とは、たくさんの星の集まりのこと。宇宙は無数の銀河から成り立っており、そのうち太陽系が属する銀河を「天の川銀河」と呼んでいます。天の川銀河には、太陽のような恒星が数千億個、直径約10万光年の範囲に、中心が膨らんだ円盤のような形で、渦を巻くように集まっていると考えられています。
天の川銀河を上から見れば円形に見えるのでしょうが、横から見れば帯状に見えます。そして、銀河の中から見れば、星の集まりが帯状にぐるりと取り囲んでいるように見えるはずです。夜空の天の川も、地平線に隠れた部分は見えませんが、空をぐるりと一周しているのです。このため、天の川は一年中どこかしらに見えているということになります。

天の川を見るなら

ご存知のように、星は季節によって見える星が違います。同様に、同じ天の川といっても、夏と冬とでは見える場所が違っています。太陽系は、天の川銀河の外側に位置しています。中心方向を見れば星がたくさんありますが、外側をみるとあまりありません。夏の天の川は銀河の中心部分を見ているので、帯が太く明るいのですが、冬の天の川は銀河の外側を見ているので、星の数も少なく暗いのです。
七夕(新暦7月7日)頃から、太くて明るい天の川が見られるようになるのですが、あいにくの梅雨空ということが多いですよね。実は、本来の七夕は旧暦の7月7日、新暦では8月にあたります。今の基準で七夕に天の川を見ようとしても、難しいのは当たり前。本当に天の川を見るのに良い時季は、8月だったわけです。
とはいえ、夏でも周りが明るいと天の川を見ることは困難です。人口の光はもちろん月明かりも、天の川の繊細な輝きをかき消してしまいます。できれば新月など月のない夜に、都会から離れた暗い場所で夜空を眺めてみてください。

梅雨ならではのお家イベント?美味しさ浸み出す半年後が楽しみ

「梅雨」の時期に仕込むもの

6月は「梅雨」真っ只中ですが、なぜ「梅」の字が使われているのかご存知ですか?それは、梅雨にあたる6月〜7月中旬頃が、梅の実の熟す時期だから。そして、梅酒や梅干しの仕込み時期でもあります。一般的に、梅酒には青く若い梅を使い、梅干しには黄色く熟した梅を使います。今回は、梅酒の歴史や基本的な作り方、最近の傾向などをご紹介します。

梅酒の歴史

梅酒がいつ誕生したのか、はっきりしたことはわかりませんが、江戸時代中期発刊の『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』という文献に記載があるので、それ以前には存在していたと考えられます。梅酒の材料である梅・酒・砂糖のうち、砂糖は当時貴重品だったので、庶民が楽しめるようになるのはもっとあと、おそらく江戸時代後期頃と思われます。江戸時代後期には砂糖の流通量が増えるとともに、農家の梅の栽培・加工が強く奨励されていたからです。
さて、時代は下って1962年、酒税法が改正されて家庭での梅酒造りが認められると、梅酒を初めとした果実酒(ホームリカー)ブームが起こりました。基本的にお酒造りは免許がないと法律違反ですが、自分で消費するために、漬け込む酒以上のアルコールを発生させず、法律で規定するものは混ぜないならばOKとなったのです。梅などの果実を漬けるお酒は大体OKですが、ブドウはNG。また、漬ける時のお酒はアルコール度数20度以上でないといけません。

一般的な家庭での梅酒の作り方

材料は、青梅1kg・氷砂糖500g〜1kg・ホワイトリカー1.8リットル・ビン5リットル用(ふたが密封できるもの)・竹串。
手順は、①ビンを煮沸消毒する、②青梅をきれいに洗う、③2リットル以上の水に1〜2時間ほど漬けてアク抜きする、④水気を拭き取る、⑤竹串で青梅のヘタを取る、⑥青梅を半分入れる→氷砂糖を半分入れる→残りの青梅を入れる→残りの氷砂糖を入れる、⑦ホワイトリカーを注ぐ、⑧ふたをして半年から一年ほど冷暗所に置いた後、飲めるようになります。

ホワイトリカーは果実酒を作るためのお酒です。無味無臭なので梅の風味が活きやすく、失敗は少ないですが、ほかのお酒で梅酒を作ってもOKです。日本酒、焼酎、ラム酒、ブランデー・・・いろんな風味が楽しめそうですね。ほかにも、砂糖を氷砂糖ではなく黒砂糖やザラメに代えたり、梅の種類や完熟度を変えることによって、味わいは変わってきます。
実際、最近は多種多様な梅酒が出ています。ブランデー梅酒、黒糖梅酒、完熟梅酒、梅肉をすりおろして混ぜた濁り梅酒なんかもありますね。基本的な梅酒をマスターしたら、いろいろな変わりレシピに挑戦して、「我が家のオリジナルレシピ」を作ってみるのも楽しいかもしれません。

大空を泳ぐ鯉のぼりのように子どもの成長を願う

ゴールデンウィークの風物詩

5月5日の「こどもの日」が近づくと、様々な場所で鯉のぼりを見かけるようになります。住宅事情から「尾根より高い鯉のぼり」とはなかなかいきませんが、ベランダ設置用や室内飾りなど、各家庭の事情を考慮した様々な商品が生まれています。イベントも各地で行われ、大空を豪快に泳ぐ鯉のぼりを楽しめる機会も多いようです。そんな鯉のぼりについてご紹介します。

庶民の願いが生んだ鯉のぼり

5月5日は元来「端午の節句」といいました。奈良時代に中国から入ってきた風習で、平安時代には厄払いの宮延行事として定着しました。そこで重要な役割を果たしたのが、香りで邪気を払う「菖蒲」。時代が流れて武士の時代になると、「菖蒲」は「尚武(武道を重んじること)」につながるとして、端午の節句は「男子の成長と健康を願うお祝い行事」に変化していきました。やがて江戸時代中期、商人が力を持つ時代になると、端午の節句を祝う風習は町人層にも広まっていったのです。
そこで登場するのが"鯉のぼり"です。武士は端午の節句に「旗指物(はたさしもの:家紋を染め抜いた旗)」を飾りました。それを町人が真似て、武者絵や縁起の良い図柄を描いた「絶句幟(ぜっくのぼり)」が生まれます。中でも人気だったのが、「鯉の滝登り」の図柄。これは「黄河上流にある"竜門の滝"を登りきった鯉は、龍となって天を駈ける」という故事に由来し、そこから鯉の滝登りは「めざましく立身出世すること」を意味しました。この鯉の滝登りの節句幟をよりリアルに、鯉が空を泳ぐように改良したのが鯉のぼりなのです。

鯉のぼり家族は時代とともに

鯉のぼりの歌に「♪大きな真鯉はお父さん〜小さな緋鯉は子どもたち〜」という歌詞があります。鯉のぼりは色や大きさによって、家族を構成している印象がありますね。ところが、江戸時代の鯉のぼりには黒の真鯉しかいません。そもそもこの時代は、鯉といえば黒の真鯉。鯉がカラフルだというイメージは、錦鯉の養殖が広まった明治時代以降のものなのです。では明治時代の鯉のぼりはというと、黒の真鯉と赤の緋鯉を対で揚げていたようです。ただしここでの緋鯉は、歌詞にもあるように子ども(男児)のこと。男子の行事ということから、父親と男児しかいなかったのかもしれません。
黒の真鯉が父、赤の緋鯉が母、青の鯉が子ども、というイメージが定着したのは、家族観が変化していった昭和30年代。さらに現在では、緑や橙などよりカラフルな子鯉が登場し、女児も含めた家族全員分の鯉を揚げるところもあるとか。伝統の鯉のぼりも、いろいろな時代背景を反映しているんですね。

心踊らす桜色、ほんのり香る桜味。春の訪れを目で、舌で楽しもう

花より団子で何食べる?

4月は桜の季節。日々桜前線が南から北へ北上しつつ、日本のどこかで桜が見頃を迎えています。「花より団子」という言葉がありますが、花見に飲食はつきもの。お花見団子や桜餅など、特に桜や花見に縁の深い食べ物もありますね。今回は、そんな昔ながらの、桜の季節に食べたくなる和菓子について、その由来やトリビアをご紹介します。

お花見団子に込められた意味とは

「お花見に欠かせない食べ物は?」という問いへの答えはさまざまでしょう。桜を見ながらお弁当、という方ならおにぎりやお寿司が、桜の下で宴会!という方なら唐揚げやフライドポテトなど、おつまみ的なメニューが思い浮かぶかもしれません。しかし元祖といえるのは、やはり「花より団子」の団子でしょう。
花見の団子といえば、ピンク・白・緑三色の串団子。この三色に込められた意味は諸説あります。一つは、ピンクは桜の蕾を、白は桜の花を、緑は葉桜を表し、三色団子が移りゆく桜の姿を象徴しているというもの。もう一つは、ピンクは穏やかな太陽、白は残雪、緑は新緑の芽吹きを表し、三色団子が早春の情景を象徴しているというものです。さらには、白が雪の冬を、ピンクが桜の春を、緑が葉の茂る夏を象徴し、秋がないので「飽きない」団子だという説もあります。他にもいろいろな解釈があり、どれが正解とはいえませんが、どれも正解なのかもしれませんね。いずれの説も、本格的な春の訪れを喜ぶ気持ちが伝わってきます。

東西で微妙に違う「桜餅」

桜の季節を感じさせる食べ物といえば、塩漬けした桜の葉を巻いた、桜色の和菓子「桜餅」でしょう。しかし、「桜餅」と言われて思い浮かぶ姿は、人によって違うのではないでしょうか?実は桜餅にも、関東風と関西風があるのです。
関東風桜餅は、小麦粉などの生地を焼いた皮で餡を巻いた、クレープ状のお餅。隅田川沿いにある長命寺の門番が、桜の落葉の処理を兼ねて考案し、売り出されたことから、「長命寺」「長命寺餅」などと呼ばれています。

一方の関西風桜餅は、もち米を蒸して乾燥させ粗挽きした道明寺粉(大阪の道明寺で作られたためこう呼ばれる)で皮を作り、餡を包んだまんじゅう状のお餅。道明寺粉のつぶつぶした食感が特徴で、「道明寺」「道明寺餅」などと呼ばれます。
桜を使った和菓子は桜餅が代表的ですが、今は期間限定で桜味のスイーツやドリンクがたくさん出ています。ぜひ、美しい桜の花とともに、いろいろな桜の味を楽しんでください。

  • 連載「住まいとお金」ファイナンシャルプランナー 久谷真理子
  • わが家の建てどきガイド
  • 資金計画タイプ別診断 あなたの資金の傾向をタイプ別で診断!

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