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お盆に帰ってきた霊を慰める"盆踊り"幾多の変遷を経て何度目かのブームの兆し!?

意外と忘れがち?お盆に踊るから「盆踊り」

8月13~16日は、東京など一部を除いて、ほとんどの地域でお盆を迎えます。お盆にまつわる風習はいろいろありますが、「盆踊り」もそのひとつ。お盆の時期に踊られていたから「盆踊り」なのですが、今ではお盆に限らず、7~8月に各地でイベントが開かれています。長い間に意味合いが変化し、衰退と再生を繰り返してきた盆踊りの歴史と、最近の傾向をご紹介します。

踊り念仏から先祖供養へ

盆踊りの起源は諸説ありますが、踊りながら念仏を唱える「踊り念仏」を起源とする考え方が有力です。踊り念仏は、平安時代中期に僧・空也が始め、鎌倉時代中期に時宗の一遍が広めたといわれています。各地へ広がるうちに、宗教性より芸能面に比重を置く「念仏踊り」が生まれ、衣装や道具、振り付けや音楽に凝るようになっていきました。  やがて室町時代末期には、先祖の霊を迎えて供養する「盂蘭盆会」と結び付き、死者の霊を慰める踊りとして「盆踊り」が成立したと考えられています。

男女の出会いの場から健全な娯楽へ

江戸時代になると、男女の出会いの場としての面が強くなっていきました。盆踊りのルーツのひとつとして、歌垣(古代の習俗で、求愛のために、男女が山や市に集まって歌い合ったり、踊ったりした行事)が数えられるゆえんでしょう。
そのためか、幕府はたびたび禁止令を出しており、明治時代になってもそれは変わりませんでした。むしろ近代化を目指す政府によって、より厳しく取り締まられたようです。
そこで、夜通し踊るのをやめたり、卑猥な歌詞は改めるなど、盆踊りの近代化が図られました。その甲斐あってか、大正時代には健全な娯楽としてブームとなり、各地で新作盆踊りが作られました。

戦後も盛衰を繰り返した盆踊りの今

戦時中は一時期途絶えましたが、戦後すぐ復興し、地域住民の交流の場として各地で開催されるようになりました。しかし、バブルがはじけて不景気になると、多くの夏祭りや盆踊り大会が姿を消し、残ったとしても、櫓の周りで踊る人は少なくなっていきました。
一方で、阿波踊りやYOSAKOIなど、元は郷土の盆踊りだったものが全国に広まって多くの人を集めています。また、音楽や踊りを現代風にアレンジしたり、アニメやコスプレを取り入れることで、子供や若者を取り込み、最近は何度目かの盆踊りブームだといわれています。
時代に合わせて変化し、支持されてきた盆踊り。今年の夏は是非輪の中に入って踊ってみてください。

泳ぐもよし、眺めるもよし!今も昔もパワーをくれる"海"

海水浴は元々医療行為だった!?

7月の第3月曜日は「海の日」。 「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨とした国民の祝日です。 海に関わる仕事をしていなければ、海に直接ふれる機会は"海水浴"などの海のレジャーではないでしょうか? しかし、元々"海水浴"はレジャーでなく医療行為だったのだとか...。 海水浴や海のレジャーの歴史をご紹介します。

高級な保養地から、庶民の行楽地へ

今では"遊び場"のイメージが強くなった海ですが、昔はそれよりも漁や交易をする"生活の場"であり、神仏に祈り穢(けが)れを払う"神聖な場所"でした。 また「潮湯治(しおとうじ)」「潮浴(しおあみ)」などといって、病気治療のために海水につかることも古くから行なわれていたようです。 『吾妻鏡』には、鎌倉幕府の第三代将軍である源実朝が、鎌倉の海に入って病を癒したと記されています。

「海水浴」という言葉は、明治時代に欧州より導入された "保養"の考え方とともに広まりました。 18世紀中頃の欧州では、産業革命が引き起こした健康被害により、海岸周辺での保養・療養が注目されるようになりました。 19世紀以降には、海水浴場とサナトリウムが併設されて欧州各地に広まり、その考え方が日本へも伝わったのです。
初期に広まった保養・療養目的の海水浴は、明治政府の高官が別荘の建設とともに行ったことから、高級なイメージができあがって庶民の憧れとなりました。 そこへ、産業の発達による余暇の誕生と鉄道網の整備という条件が加わり、庶民が手軽に海水浴場へ行けるようになったため、行楽としての海水浴がブームとなったのです。

平安時代以来の海レジャー"潮干狩り"

明治時代より前は海のレジャーがなかったのかといえば、そんなことはありません。 今でも盛んな"潮干狩り"の歴史は古く、平安時代まで遡るといわれます。 庶民の行楽になったのは江戸時代からで、浮世絵に描かれたり、俳句の季語になったりしています。
ただし、潮干狩りは真夏ではなく春~初夏がシーズンで、特にゴールデンウィーク頃がベストといわれています。 潮干狩りは潮が引く時間帯を狙って行いますが、春は特に潮が引く度合いが大きく、かつ潮が引く時間帯が昼間だからです。 また、潮干狩り定番のアサリが春に旬を迎えることも理由として挙げられます。

海水浴や潮干狩り以外にも、釣り・サーフィン・スキューバダイビング・シーカヤック・ヨット・モーターボート・ホエールウォッチング等々、様々なレジャーがあります。 是非何か好みのレジャーで、海を満喫してください!

ますます個性豊かになるアジサイ今年の気分にしっくりくるのは?

色とりどり・形もさまざま梅雨のシンボル"アジサイ"

6月はアジサイの花が見頃。かつては色がコロコロ変わる様を 「移り気」「縁起が悪い」と考え、あまり品種改良が進まなかったそうですが、今は実に様々な品種が開発されています。

気軽に楽しむなら鉢植えもいいですし、花木の本領を発揮するなら地植えもいいでしょう。名所へ出かけて、周りの風景と共に堪能するのもよし。今回はアジサイの楽しみ方をご紹介します。

アジサイのいろいろな形

アジサイの花は、雄しべと雌しべを持つ両性花と、花弁の様な蒋を持つ装飾花で構成されています。両性花がいわば本体ですがあまり目立たず、外見上"花" として認識されるのはだいたい装飾花の方です。 装飾花の形や大きさ・色が変わったり、八重になったり、あるいは両性花がすべて装飾花に変化することで、一見すると同じアジサイとは思えないほどのバリエーションが生まれています。

アジサイの色を楽しむコツ

アジサイの花色が、土の酸度で変わるのは有名ですね。酸性の上なら青くなり、中性~弱アルカリ性の土ならピンク色になります。 中性なら中間の紫色になりそうなものですが、アジサイには青花系品種とピンク花系品種があり、青花系品種を中性~弱アルカリ性の土に植えると赤みを帯びた紫色に、ピンク花系品種を酸性の土に植えると青みを帯びた紫色になるのだとか。

紫色が好きな方もいるでしょうが、アジサイの生産農家としては品種固有の色をよりきれいに発色させるため、土や肥料を調整しているのだそうです。鉢の植え替えや庭に移植する時は注意したいですね。
ただ、中には土壌に関係なく両方の色にきれいに発色する品種、あるいはそもそも土の酸度にあまり影響されない品種もあるそうです。

また、白いアジサイは元々色素のない品種で、これも土の酸度によるものではありません。
アジサイの色が変わる要因は、他に"時間"もあります。最近"秋色アジサイ"などと言って、秋まで長く開花している内に、花色がくすんだ緑色や赤色へ変わっていく品種が人気です。
最後は乾燥させてリースを作ることも出来るとか。梅雨だけではもったいない!という人は、是非挑戦してみてください。

爽やかな香りで心身を清めてくれる"菖蒲"。子供も大人もお風呂でリフレッシュ。

子どもの日といえば"菖蒲"。その由来とは?

5月5日は「こどもの日」。元々は「端午の節句」として祝われていた日です。別名として「菖蒲の節句」という呼称があるように、端午の節句には、菖蒲を使った風習がいくつも残されています。代表的なものが"菖蒲湯"ですが、ほかにも様々なものがあります。なぜ菖蒲なのでしょう。また、菖蒲にはどんな効能があるのでしょうか? こどもの日に縁の深い"菖蒲"にまつわるエピソードをご紹介します。

元々は季節の厄払い行事。菖蒲の香りで邪気を浄化

現在では、男の子の成長を祝う行事としての印象が強い端午の節句ですが、元々は古代中国の厄払い行事でした。
旧暦の5月5日は梅雨にあたり、体調を崩しやすくなることから、病魔や災厄を祓うために行われたのです。この時季に盛りを迎える菖蒲や蓬(よもぎ)は良い香りがしますが、古来、芳香には悪い気を退ける力があると信じられていました。そこで、蓬で作った人形を飾ったり、菖蒲を門に掛けたりして、邪気を祓ったそうです。それが奈良時代に日本へも伝わり、平安時代には宮中行事として定着しました。
宮廷ではこの日、軒に菖蒲や蓬を挿したり、冠に菖蒲を飾ったり、また菖蒲や蓬を丸く編み五色の糸を結んだ薬玉(くすだま)を柱に吊るしたりしました。薬玉を貴族同士で贈りあう習慣もあり、『源氏物語』や『枕草子』にその描写が見られます。

武士の時代にも縁起物として浸透していった菖蒲

鎌倉時代になると武士が力を持ち、宮廷行事としての端午の節句は衰えます。一方で、「菖蒲」は「尚武(=武を尊ぶ)」や「勝負」と同じ読み方であること、菖蒲の葉の形が剣に似ていることなどから、武士もこの日を重視するようになりました。またこの頃から、菖蒲湯・菖蒲酒・菖蒲枕など、菖蒲に関する風習が、民間にも伝わっていったそうです。菖蒲切りというチャンバラごっこや、菖蒲打ちといって菖蒲の束で地面を叩き、音の大きさを競う遊びも登場しました。

漢方薬・民間薬としても大活躍の菖蒲

菖蒲の芳香には、自律神経に作用して精神の安定をもたらすテルペン類の香り成分のほか、アザロンやオイゲノールといった、血行促進や疲労回復に効果がある香り成分が含まれ、菖蒲湯は神経痛やリウマチに効果があるといわれています。菖蒲は漢方薬・民間薬としても用いられており、意識障害や癲癇(てんかん)、健忘症のほか、関節痛、打撲傷、腫れ物、湿疹、腹痛、胃炎、消化不良、下痢、気管支炎、せきなどに効果があるとされています。
なお、「菖蒲」というと、紫色の美しい花を想像するかもしれませんが、それは「花菖蒲」と言って、魔除けや薬として用いられる菖蒲とは全くの別物。花菖蒲には、菖蒲のような香りや効能はありません。菖蒲に葉が似ていることから、この名がついたそうです。菖蒲湯用には、スーパーや花屋さんなどで、菖蒲湯セットを買えば間違いないでしょう。

桜満開・春爛漫。お釈迦様の誕生日は色とりどりの花に囲まれて

一見、何の日か分かりづらい「花まつり」。実は...?

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キリスト教の開祖であるイエス・キリストの誕生日は、言わずと知れたクリスマス。日本にキリスト教徒は少ないはずなのに、知名度は抜群ですね。では、日本に馴染みの深い仏教の開祖・お釈迦様の誕生日はいつでしょう? 諸説ありますが、日本では新暦4月8日に、お祝いの行事を行うことが一般的。行事の名称は「灌仏会(かんぶつえ)」「降誕会(ごうたんえ)」「仏生会(ぶっしょうえ)」など様々ありますが、最も親しまれている呼び名が「花まつり」です。

お釈迦様の誕生日は花がいっぱい?

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お釈迦様の誕生日が「花まつり」と呼ばれる理由はいくつかあるようです。4月8日頃は桜が満開になる地域が多い事から、浄土真宗の僧侶がその名を提唱したという説。元々この時季には春の到来を祝い、花で山の神や祖先を祀る同名の民間習俗があり、それと習合したという説。お釈迦様の誕生の際にはたくさんの花が咲いていたからという説。あるいは、その様子を模した行事が行われるからという説、等々です。
お釈迦様は、現在のインドとネパールの国境に近い、ルンビニーの花園で生まれました。生まれてすぐに七歩進み、右手で天を、左手で地を指差し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と宣言したと言います。また、お釈迦様の誕生を祝った竜王が、甘露の雨を降らせたとも伝えられています。花まつりでは、そんな誕生の様子になぞらえた行事が多々あります。

伝説を再現する「花まつり」の行事

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仏像を安置した建物を堂といいますが、花まつりの日には、花で飾った「花御堂(はなみどう)」が設けられます。これは、誕生の地・ルンビニーの花園に見立てたものです。花御堂に安置されるのは、お馴染みの座禅を組む仏像ではなく、誕生時のように右手で天を、左手で地を指差す「誕生仏(たんじょうぶつ)」。竜王がお釈迦様に甘露を注いで祝ったように、誕生仏に甘茶をかけることでお祝いします。また、寺院で甘茶が振る舞われることが多く、これを飲めば無病息災で過ごせると言われています。
日本では地味な印象の花まつりですが、マレーシアではたくさんの人が参加する派手なパレードもあるのだとか。派手なことが良いとは限りませんが、もう少しお釈迦様の誕生日も知られるとよいですね。満開の桜を背景に、花で飾られるお堂はなかなか華やかで美しいのではないでしょうか。最初はそんな理由から、「花まつり」に興味を持ってみるのも悪くはなさそうです。

  • 連載「住まいとお金」ファイナンシャルプランナー 久谷真理子
  • わが家の建てどきガイド
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